カルロス・クライバー
ウィーン・フィルハーモニー

管弦楽団
のライブ映像より

AAFC例会資料
2008/5/10
担当 : 倉田 勲

 


♪♪ 《交響曲第2番 二長調 作品73》・・・ブラームス   フィリップス LD PHLP−9040

1877年南オーストリアのペルチャッハを夏の滞在先に選びそこで第2番の作曲に着手、ドイツのバーデン・バーデン近郊のリヒテンタールの地で完成、第1番の完成後、4ヶ月というブラームスとしては、非常に短い期間で書き上げられた牧歌的で幸せな気分の伸び伸びとした作品であり、ブラームスの“田園交響曲”とも言われている。


♪♪ 《カルロス・クライバー》

1930年7月3日、当時ベルリン国立歌劇場監督だったエーリヒ・クライバーの息子として生まれた。(母親はアメリカ人。 当初はドイツ人の名「カール」と名付けられたが、一家が第2次世界大戦を避けてアルゼンチンに移住した際に、スペイン語の名カルロスに改名したのである。
このような生い立ちからして、「ラテン的明快さを兼ね備えたドイツ正統派」となるべく運命づけられたような指揮者、それがカルロス・クライバーである。
しかし、父親エーリヒは息子が音楽の道に進むのには反対だったため、いったんは1952年、チューリヒ連邦工科大学に入学するのだが、翌53年にはミュンヘンのゲルトナープラッツ劇場の無給見習い指揮者となり、1954年にはポツダムでオペレッタを指揮している。その後の経歴は以下の通り。

1957年〜64年 ライン・ドイツ・オペラ(デュイスブルク、デュッセルドルフ両市の歌劇場)の指揮者
1964年〜66年 チューリヒ歌劇場指揮者
1966年〜72年 シュトゥットガルト・ヴュルテンベルク州立歌劇場第一指揮者
1970年より、バイエルン国立歌劇場と回数契約
1973年 ウィーン国立歌劇場に「ばらの騎士」「トリスタン」でデビュー
1974年 ロンドン、ロイヤル・オペラにデビュー
1974年 バイロイト音楽祭で「トリスタン」を指揮
1974年 ウィーン・フィルと「運命」を録音
1974年 バイエルン国立歌劇場日本公演で来日(「ばらの騎士」)
1975年 ミラノ・スカラ座に「ばらの騎士」でデビュー
1977年 サンフランシスコ歌劇場で「オテロ」を指揮しアメリカ・デビュー
1978年 シカゴ交響楽団で「運命」を指揮しデビュー(父エーリヒの楽譜をもって)
1979年 ウィーン・フィルの定期を初めて指揮
1983年 アムステルダム・コンセルトヘボウを指揮(LDになっている第四・第七)
1988年 メトロポリタン歌劇場で「ボエーム」を指揮しデビュー
1989年 ニューイヤーコンサートを指揮(2回目は1992年)

ライン・ドイツ・オペラでのデビューは、1960年「椿姫」だった。その後、1965年にはシュトゥットガルトに「ばらの騎士」でデビュー。1968年には同じく「ばらの騎士」でミュンヘンのバイエルン国立歌劇場にデビューしている。
クライバーは周知の通り、録音がきわめて少ない。スタジオ録音は「運命」「第7」「ブラームス第4」「未完成&第3」「椿姫」「魔弾の射手」「こうもり」「トリスタン」だけである。(いずれもDG) 90年代末よりほとんど指揮せず病気療養中だったと伝えられるので、経済的事情だったのかもしれない。  2004年7月13日スロヴェニアで死去。

上記プロフィルは下記HTMLより紙面の都合で一部省略して転載。

http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/c-kleiber.htm

以 上