AAFC例会資料

午後の部


第1回 音楽映画鑑賞会

無伴奏 「シャコンヌ」

2009/10/10
担当 : 清水 俊一

  音楽は視覚と結び付くことで、より強い力をもつことはいうまでもありません。オペラ、バレエそして映画音楽など、映像を伴うことで、感動がより深く心に刻みつけられ、いつまでも記憶に残ります。
オペラについては佐藤さんが始められたオペラ鑑賞会が既に19回を数えますが、オペラ以外にも、その発展型であるミュージカル、音楽をテーマとした映画、ドキュメンタリ等に優れた作品は数多くありますし、これからも生み出されてくると思います。しかし、これらを例会の1時間枠の中で伝えようとするとどうしても、独りよがりのつまみ食いの感が否めませんでした。今回、午後活動の枠を頂けたのを機会に、今後は皆様が感銘を受けた作品を順次取り上げ、感動を分かち合っていけたらと考えております。

第1回として、取り上げるのは1994年のフランス映画 「無伴奏シャコンヌ」 です。

  華やかな音楽界をドロップアウトした、とあるヴァイオリニストの生き様が描かれています。ちょっとグレン・グールドみたいです。しかし、この映画の本当の主役はバッハの音楽そのもの、ひたすら、シャコンヌだけが奏でられるラストの約15分、私、初めて見た時、まるで金縛りにあったように身動ぎもできず言葉を失い圧倒されました。日頃、神様仏様とは縁の薄い私ですが、宗教的感銘を受けたといっても良いと思います。ところで、この映画の公開時のキャッチコピーは「男はヴァイオリンの音色で愛を語り、女は類まれな響きに魅せられ恋に落ちる。」でした。私はちょっと、違うとは思いますが、受け止め方は各人各様、いろいろな角度から楽しめる作品に仕上がっています。

ということで、 10月10日(土)午後1時30分から根戸小学校地域交流教室にて、第1回音楽映画鑑賞会を開催しました。
尚、参加者は11名、感想文が複数寄せられております。
次回、第2回は後藤さんのご担当で開催するということで、散会致しました。(日時、場所未定)

 



音楽映画「無伴奏シャコンヌ」 を見て
佐藤 久男

  清水さんのご提案で、AAFC例会後の午後の活動の一環として音楽映像の鑑賞会第一弾として「無伴奏シャコンヌ」が上演された。

  10名を 超える参加者で関心の高さが伺えた。
私は最近は映画を見に行く機会が少なくなり専らTVで鑑賞する程度になっている。

  バイオリニストとして絶頂期の主人公が華やかな公演活動からドロップアウトし、 パリの地下鉄の通路で自分の為にひたすら演奏する。
通行人が立ち止まり、座り込んで聞き惚れる。パリの地下鉄の騒音の中で心の赴くままバッハを演奏する。
名誉を捨て経済的な困難も捨てひたすらにバッハに傾倒する主人公は崇高な禅僧に似ている。
バイオリストの演奏はクレーメルが弾いているが、主人公は素人の俳優とは思えない指使い、運弓で孤高の演奏家を演じている。

  地下鉄の乾いた、響きのある音響、行き交う乗客の騒音の中に響くバッハ、音楽とは何かを考えさせられる映画だった。
最近はコンクールに入賞しただけで流行り立てるマスコミ、悪のりする聴衆、自分を失って自滅する演奏家など目に余る現象と現実に一服の清涼剤である。

  音楽に対する監督の畏敬と深い理解力がこの映画を作らせたが、残念ながら我が国では絶対に作られない映画だと思う。
地下道で聞き惚れる聴衆、心を寄せる切符売りの女性、瀕死の老人が聴きながら安らかに迎えた死、演奏しながら天国を夢見る主人公など巧みな背景を展開しながらさりげなくバッハを散りばめていく。
監督の第一作というが素晴らしい感性には感心させられる。

  久々に心の琴線に触れる素晴らしい映画であった。

以 上

無伴奏シャコンヌ:感想
大久保 貴枝子

  
  自らの演奏を極めるために一線を退き、何故アルマンはメトロに立つのか?富裕層のためにバイオリンを弾くことが何故演奏を極めることにつながらないのか。聴衆の資質に問題があるのか、それとも商業ベースにのるのが嫌なだけなのか。メトロに立って底辺の人々にバイオリンを聴かせることが何故音楽を極めることになるのか?疑問がいっぱい…

  立ち退きを迫られ警官にバイオリンを叩き割られたアルマン。その砕け散った残骸を寄せ集め、その中から何かを取り出した。そしていとおしむようにその物をなでさする。私にはバイオリンの魂柱のように思われました。バイオリンの心臓ともいえる魂柱をいとおしむ。バイオリンの魂さえあれば、形は無くても心の中で、そして頭の中で弾き続けることができる。はたから見れば正常で無い状態にみえるのにも係わらず、アルマンには譜面が繰り出され、音が聞こえてくる。親身になってくれる友がいる。ならばもう一度第一線に戻って演奏して欲しい。鬼気迫る演奏後、大写しになり遠くを見つめるアルマンの輝く瞳、何かを悟った瞳のように私には感じられた。明日からはメトロを離れ、もう一度舞台に立って演奏して欲しい。人に聴いてもらえなければ、いくら演奏を極めたとしてもなんの価値も無いことになってしまうのだから…。

以 上

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