皇紀2600年奉祝曲

 日本編その1

AAFC例会資料
2010/03/27

担当 : 脇田 隆夫


  1. 日本にもキリスト誕生紀元のような独自の紀元をたてて西欧に対抗すべしとの建白をうけ、明治4年政府により皇紀元年を日本書紀の記述に基づき神武天皇即位の年と定めた。これにより皇紀はキリスト誕生紀元前660年となる。歴史研究によれば天皇誕生は4世紀とされており1000年膨らますことになった。皇紀2600年は昭和15年にあたり、この年を維新以来の成果を世界に披瀝し国威発揚すべき年として東京オリンピック、万国博を予定していたが日中戦争の泥沼化、対米関係悪化で状況は暗転。政府はこの年を来るべき戦争に備え国民の団結を図り歴史・伝統への誇りを強調することになった。音楽部門では昭和15年11月の奉祝会用に海外にはドイツ・R.シュトラウスなどへ祝典曲委嘱をした。国内では委嘱あるいは自主的に国家・国民に多くの祝典曲が捧げられた。山田耕筰ほかによる40数曲のようだ。

 2. 橋本国彦(M37〜S24)*1

(1)交響曲第1番

沼尻竜典・東京都交響楽団  録音トニー・フォークナー  ナクソス*2
第1楽章 16;23 雅楽・絵巻物風から始まる悠久なる歴史の幕開け。        
第2楽章 11:08 琉球音楽からのようでボレロ風。
第3楽章 約16分 唱歌紀元節(м21作曲)の変奏曲とフーガ。ブルッナーのごとく悠揚として昂揚感あふれる。

*1 東京生れ大阪育ちのヴァイオリニスト、指揮者、作曲家、音楽教育者。バイオリンを辻吉之助(辻久子の父)に学び東京音楽学校に入学、のち教授。ウイーンに長く滞在。帰国後は花形作曲家・指揮者として政局がらみの役回りを期待された。即ち多数の戦時歌謡・山本五十六提督追悼カンタータの作曲、満州国建国十周記念慶祝演奏旅行など、あたかもショスタコービッチの如く。クラシック、ポピュラーの垣根を問わず活躍。戦前の「お菓子と娘」「富士山見たら」、戦中の「大日本の歌」「学徒進軍歌」、戦後の「朝はどこから」などは今でも聴かれている。戦前と戦後の価値観断裂に悩み教授を辞するも心身を苛み、なんと45歳の若さで胃癌により死去。他にも聴きたくともクラシック録音では歌曲を除き、このCD収録の交響組曲「天女と漁夫」だけである。バイオリンの弟子に朝比奈隆がいる。あまりにもダンディで住込み書生であったあの黛敏郎が見とれていたと言う話もある。

*2 片山杜秀氏渾身の解説は内容が濃く、この資料の多くは引き写しである。


(2)番外 学徒進軍歌 (昭和18年11月放送)  
     作詞西条八十  歌 藍川由美  デンオン

    昭和18年6月  戦況悪化により「学徒戦時動員体制確立要綱」決定

以 上

 
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