この曲はフランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1786年に作曲した管弦楽曲。「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」とも。同じ趣向のハインリヒ・シュッツの『十字架上での七つの言葉』と並んで知られる。原曲は管弦楽曲だが、後にハイドン自身の手によって、弦楽四重奏版とオラトリオ版が編曲されており、さらにハイドンが監修したクラヴィーア用の編曲版がある。
1786年、54歳の頃にスペインのカディス大聖堂からの依頼によって作曲された。聖金曜日の礼拝において、福音書のキリストの十字架上での七つの言葉をそれぞれ読み、瞑想する時間に演奏されるための音楽となっており、序章に始まり、七つの言葉に相応する7曲のソナタ、最後にイエスの死のときに起こった地震(Il Terremoto)を表した力強い曲によって構成されている。
7つのソナタはその目的上、すべて緩徐楽章である。速度変化に乏しい音楽を延々と続けることは、ハイドンにとっても困難な作業だったが、出来上がった作品には自身も満足し、「初めて音楽を聴く人にも深い感動を与えずにはおかない」と語っている。(Wikipediaより)
作曲年代 |
1786年 |
1787年 |
1787年? |
1795-96年 |
演奏様式 |
管弦楽 |
弦楽
四重奏 |
ピアノ
ソナタ |
オラトリオ |
序章 Maestoso adagio |
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第1ソナタ 「父よ!彼らの罪を赦したまえ」 Largo |
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第2ソナタ 「おまえは今日、私と共に楽園にいる」 Grave e cantabile |
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第3ソナタ 「女性よ、これがあなたの息子です」 Grave |
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第4ソナタ 「わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」 Largo |
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序曲 Poco Largo |
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第5ソナタ 「渇く!」 Adagio |
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第6ソナタ 「果たされた!」 Lento |
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第7ソナタ 「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます」 Largo |
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地震 Presto e con tutta la forza |
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管弦楽:Hungarian State Orchestra, Janos Ferencsik |
弦楽四重奏:Buchberger Quartett |
ピアノ・ソナタ(フォルテ・ピアノ):Bart van Oort |
オラトリオ:Chamber Choir of Europe, others/Nicol Matt |
第一の言葉:
「父よ、彼らを赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。」(ルカの福音書23章34節)
午前9時に十字架につけられた時の言葉である。このイエスの祈りは、有力な写本BやDにはない。故に新共同訳聖書では真正性を疑われるものとして、カッコ書きされている。しかし、ステパノの殉教の記事は本節を前提にしていること、ルカの神学とキリストの精神に調和していることから、伝統的解釈では、真正性を認めている。
第二の言葉 :
アーメン、あなたに言います。あなたは今日私と共にパラダイスにいます」(ルカの福音書23章43節)
第三の言葉 :「ギュナイ、そこにあなたの子がいます」「そこに、あなたの母が」(ヨハネの福音書19章26節-27節)
母マリヤと弟子のヨハネに言った言葉で、ヨハネにマリヤを支えることを依頼したもの。これにより、ヨハネがマリヤを引き取ることになった。 イエスの言葉を聞いた、その時点から、ヨハネはイエスの本意を理解して、マリヤをつれて十字架のそばを離れて、エルサレムの自分の家につれていったと思われる。
第四の言葉
「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか。)」(マルコの福音書15章34節)「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(マタイの福音書27章24節)
三時時頃にキリストが大声で語った。大声と言うのは全地に響き渡っていくという意味がある。[4]詩篇22篇と関連のある言葉である。神への呼びかけは、マルコではアラム語の「エロイ」、マタイではヘブル語の「エリ」である。周囲の人々がエリヤを呼んでいると誤解したので、マタイの記述が一番近いと思われる。多くの解釈では、詩篇22篇からの引用であるとしているが、より少数の解釈では、詩篇22篇からの引用ではなく、神がイエスを見捨てた事を指しているとしている。伝統的にはイエスが事実上、罪人の身代わりになって罪の裁きを受けたことを表す叫びと解釈される。イエスが神を「父」とは呼んでおらず、審判される側に立ち、自己を罪人と完全に一つにして、神の裁きを受けているとされている。
第五の言葉
「私は渇いている(ディフォー)」(ヨハネの福音書19章28節)
イエスは聖書が成就するために、この言葉を発した。これは、詩篇69篇21節もしくは詩篇42篇2節の成就であると考えられている。この言葉を兵士は、肉体的な渇きであると理解して、酸いぶどう酒を持ってきた。
第六の言葉
「終わった(テテレスタイ)」(ヨハネの福音書19章30節)
兵士達が差し出した酸いぶどう酒を受けた直後に、この言葉を語った。これは、旧約聖書の預言をすべて成就して、贖罪の業を完成したという意味である。
第七の言葉
「父よ、私の霊をあなたの手にまかせます」(ルカの福音書23章46節
以 上