・1895年ルーマニアの首都ブカレストでユダヤ系の家庭に生まれる。幼少時父親が死去した
ため、 ウィーンの親戚に引き取られ移住、R・ローベルト(G・セル、R・ゼルキンの師でも
ある)に8歳から 師事した。10歳で公開演奏会を開く。
・1906年11歳でパリ音楽院に入学、A・コルトー、G・フォーレに師事し15歳で卒業し、演奏活動
を始めた。また、作曲家のF・ブゾーニに才能を認められ彼の下でさらに研鑽を積んだ。
(ハスキルはヴァイオリンも巧みであった。)
・パリを拠点として、ソリストとして活動すると共にE・A・イザイ、G・エネスコ、P・カザルス
等錚々たる大家にデュオの相手として度々指名され共演した
・生来の病弱であったが、1940年脳腫瘍の手術のため活動を中断、1942年にナチスの迫害を
逃れスイスに脱出した。
・大戦終了後、演奏を再開した。1953 年カザルス主催のプラド音楽祭に於いてベルギーの
ヴァイオ リニストA・グリュミオーと共演、終生名デュオとして人気を博した。
・1960年12 月6日ベルギーの首都ブリュセル駅の階段で転倒し翌日65歳の生涯を終えた。
脊椎の病、脳腫瘍、心臓病など一生を通じて難病に苦しめられたが、共演者(D・リパッティ、
グルミオー、I・マルケヴィッチ、F・フリッチャイ等)の友情に恵まれ、音楽の化身のような
人生を健気に生きた一生であった。