台本 トーマス・モレル
ユダス・マカベウス‐‐-----エルンスト・ヘフリガ― (テノール)
シモン(ユダスの兄弟---テオ・アダム (バス)
イスラエルの女-------- グンドラ・ヤノビッツ (ソプラノ)
イスラエルの男---------ペーター・シュライヤー (テノール)
ベルリン放送合唱団
ヘルムート・コッホ指揮 ベルリ放送交響楽団(東ベルリン)
録音1966:11~12月 東ベルリン
CD BERLIN Clssics 0091122BC LP グラモフォン SMG-9315/17(参考)
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ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685~1759)ドイツ~イギリス
オラトリオ 《ユダス・マカベウス》
ヘンデルは大バッハと同じ年にザクセンに属するハレ(ドイツ東北部)に生まれています。 20代後半からイギリスに移住し41歳にイギリスに帰化して若いころイタリアで学んだオペラを30数曲と盛んに作曲しましたが上演は人気なく、ことごとく失敗して50歳を過ぎてから積極的にオラトリオを作曲し成功を収めました。
ヘンデルの作曲したオラトリオは20曲ほどで中でもエジプトのイスラエル人(1738)メサイア(1741)ユダス・マカベウス(1746)は彼の作曲したオラトリオの最高峰とされています、しかしメサイア以外は上演が少なくこの曲もあまり知られていません。
《ユダス・マカベウス》はキリストの生誕以前、紀元前2世紀に実在した人物とされています。紀元前168年、シリアに執拗な迫害を受けていたユダヤは高僧マッテアスがシリアに対して反抗に立ち上がり5人の子の内、3男のユダスを指導者に指名して死にます。このオラトリオはここから始まります。
曲は3幕からできており全曲は2時間30分ほどの大作ですが今日は筋を追って49分に縮小したものでお聴きいただく事にしました。
序曲と第1幕
この物語の内容を示す様な壮大な序曲(7分)で始まります。次に第1幕となりユダスの父である高僧マッテラスの死を悼む合唱が有り、続いてイスラエルの女と男が苦難と指導者を失った民衆の絶望的な心情を代弁して歌います 人々は神に祈り、シモンが次の指導者が《ユダス・マカベウス》であり彼こそが我々を救う人物で有ると伝えます。人々の歓呼に答えユダスが登場し「この剣で必ず敵を倒し自由を取り戻す」と誓います。
第2幕
一同が「敵の運命は決せられた、ユダスが炎の剣をふるう時、汝の敵は倒される」と歌います。そして「ユダヤ万歳、幸福な国よ!」と人々はユダスを褒め称えユダスの名は永遠に史書にも輝き残される!と歌い勝利の歓呼を上げます。その時イスラエルの使者が来て敵が現れた事を告げると一転して嘆きの歌に変わります。ユダスは「わが剣は敵ゴルギアスに勝つぞ!ラッパを吹け!雄叫びをあげよ!死するとも戦場で戦おう」と宣言、新たな戦いに挑みます。
第3幕
イスラエルの女が長き苦しみの終焉を神に祈り、シオンの娘たちの平和の日のためにと語り勝利の時の歓びと平和望むアリアを歌います(歌は省略)。その時、使者がイスラエルの勝利を伝えてきます。その後、有名な「見よ!勇者は帰る」の合唱となり、続いて行進曲、ユダスの戦勝のアリアと続き、「ハレルヤ アーメン!」の大合唱で曲を結びます。
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この曲は1,966年、ドイツグラモフォンの企画により東ベルリンで録音されています。西ドイツからヘフリガー、ヤノビッツ、テッパー、が出演、その他は東ドイツからと成っています。東西の対立が厳しかったこの当時、難関を越えて理想的な演奏者を配して行われたこの録音はベストとも言える独唱陣とコッホの指揮により見事に実を結びヘンデルの合唱曲の素晴らしさを今に残してくれました。
ヘルムート・コッホ 指揮者(1908~1975)ドイツ
1945年東ドイツベルリン放送音楽部長に就任しベルリン交響楽団の指揮者となり、室内管弦楽団と合唱団を編成しています。60年バロックオペラを指揮、合唱王とも呼ばれています。演奏は誠実で彫りの深い表現と雄大なスケールを感じさせるもので特に合唱は秀逸、最近の指揮者による軽いテンポのバロック演奏とは次元の違うものを感じます。
訳はらこちらをご覧ください。(原語は省略)
ユダス・マカベウスの史実と背景
ユダヤ教は紀元前11世紀(13世紀の説もある)エジプトを脱出してパレスチナに移住したユダヤの指導者モーゼがシナイ半島の山で啓示を受けた〈神エホバ〉を信仰する宗教です。
ユダヤ民族はこの宗教により統一国家を作りますが繁栄したソロモン王の没後、紀元前928年に北の「イスラエル王国」と南の「ユダヤ王国」に分裂、紀元前586年「イスラエル」はアッシリアに「ユダヤ」はバビロニアに滅ぼされ、ユダヤ民族の有力者は全てバビロンの捕囚として移され、その後ユダヤに「救世主」待望の思想が生まれます。紀元前539年ペルシャの侵攻でバビロンは崩壊、解放されたユダヤ人はパレスチナに帰りエルサレムに神殿を再建し法律を作り祭儀を整えてユダヤの信仰を確立します。
ユダス・マカベウスは紀元前2世紀に高僧マッケラスの三男として実在、迫害を受けていたシリアに天才的な戦いぶりで連勝し、紀元前162年シリアはユダヤ教の信仰を認めました。マカベウスはその後も政治的自由と独立を目指して戦い161年ついに決定的な勝利をおさめますがそれから間もなく殺害されます。その後は兄弟のシモンが継ぎ紀元前142年ユダヤ王朝の創設者と成りしばらく平和な時が続きますがシモンと2人の息子は義理の子に殺され、ユダヤは紀元前63年にローマによる支配に入ります。
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ユダヤ教はその後、イエス・キリストにより批判されキリストはユダヤの反逆者として処刑されますがここに〈キリスト教〉が出現することに成ります。その後、70年にエルサレムはローマに占領され、それ以来ユダヤ人は約1900年に渡り故郷を捨てて世界各地に四散し、国無き民として放浪を続けることに成ります。
ユダヤ系の人には優秀な人が多く科学者のアインシュタインを始め音楽家ではメンデルスゾーンやマーラー、指揮者のワルターやバーンスタインなど取り上げればきりが有りません。商売がうまく富を得て裕福なものが多くヨーロッパではその商魂の逞しさから嫌われた様です。シェークスピアの戯曲「ベニスの商人」はユダヤ人を極悪非道な金貸しとして書いていますが嫌われた背景にはキリストを磔にした民族としてのレッテルも有るようです。また、第2次大戦のドイツによるユダヤ人大虐殺はこの民族が背負った受難と不幸に計り知れないものを感じます。
シオニズム(ユダヤの国家建設運動)によりユダヤ人は19世紀末より故国の有ったパレスチナに入植を進め、第2次大戦後、英国のパレスチナ統治終了により「イスラエル国」を建国して独立を果たしましがアラブ諸国に囲まれ今でもこの地は紛争が絶えません。なお、「イスラエル」とは神が支配するという意味を持つそうです。
ヘンデルの《ユダス》は1747年にロンドンのコベントガーデン王立歌劇場で初演、熱狂的な成功をおさめましたがユダヤ人が初めて英雄として描かれた作品で当時のユダヤ人から大変感謝されたそうです。