若き日のポリーニとサヴァリッシュ

AAFC例会資料

2013/07/07

担当 : 霜鳥 晃

ブラームス ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15 (映像)

      

本映像は1978年4月14日  ポリーニの3度目の来日時、指揮サヴァリッシュ、N響との公演で演奏されたもので、ポリーニ28歳、サヴァリッシュ55歳であった。

尚サヴァリッシュ氏は本年2月22日永眠された。その功績を讃え、哀悼の意を表します。享年89歳。

同氏は、1964年 N響の招聘で初来日、以降ほぼ毎年のように来日。1967年以来、N響名誉指揮者。1994年からは桂冠名誉指揮者。勲三等旭日中綬章を受賞。ポリーニについては、映像の中で解説者の池辺晋一郎氏と檀ふみさんから詳しく紹介されているので、ここでは省略します。

 

ブラームス ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15            (47分)

 この曲はブラームス初期(24歳)の作品である。曲全体としては従来の慣習から大きく外れており、独奏ピアノと管弦楽は互いに補い合って一つの曲を組み上げている。第2番もそうだが、この第1番もシンフォニックな性格があると同時に、 曲の冒頭から、 かってないピアノ協奏曲であるという印象を受ける。それは曲の成立の事情にも関係があると思う。この曲は1858年2月に完成されているが、完成までに2年余り、かなりの変転があった。1854年師シューマンの精神病院収容、1856年シューマンの死。クララに対する思慕。ブラームスの心の中には青年らしい純情な恋の気持ちと反省が嵐となって渦巻いていた。この苦しい情熱は、ブラームスの当時の作品に反映している。 この曲の冒頭はまさにその典型的なものである。

 初演は1859年1月、ハノーヴァーにてピアノ独奏はブラームス、指揮はヨアヒムで批評はまずまずであったが、5日後のリーツ指揮での再演では空前絶後の冷たい反応しか得られず、拍手した人は2,3人だったといわれている。おそらく、華麗な名人技を期待していた聴衆は、この重苦しい気分と交響曲的な内容が理解できなかったのであろう。ブラームスは表面的には平静であったが、内心はこの失敗に非常な打撃を受けたらしい。しかし2か月後、故郷のハンブルグで3回目の演奏が行われた時は、かなりの好評を受け、それから徐々にその真価を認められることとなった。

1873年、初演より14年後、ライプツィヒでのクララ・シューマンを独奏者としての演奏では圧倒的に賞賛され、1878年ブラームスが独奏した時には、文字通りの絶賛を博した。
(門馬直美氏、小石忠男氏のライナーノートより)

第1楽章 maestoso (荘厳に) ニ短調  6/4  (21:15)
第2楽章 adagio ニ長調  6/4  (13:20)
第3楽章 allegro non tropp (程々の速さで) ニ短調  2/4  (11:30)

 

この曲はピアニストにとって音量とスタミナが要求される過酷な作品のせいか、女性ピアニストの演奏は極端に少ない。

CDでは1990年録音のレオンスカヤ、1997年のグリモー位で、かの気丈夫なアルゲリッチでさえ敬遠している。

しかし最近では若手女性ピアニスト(佐藤麻理や前定例会で紹介された河村尚子さん等)がこの曲に挑戦するようになってきた。

                                               以  上