「巡礼 それともさすらい・・・」

AAFC例会資料

2014/05/04

担当 : 藤井 千恵子

 

村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が昨年発売され、それにあやかってラザール・ベルマンのCDが発売されました。

品番:UCCG-4818
組み枚数:3
レーベル:ドイツ・グラモフォン
オリジナル発売日: 1995.02.25
録音年:1977年5月
録音場所:ミュンヘン
演奏者:ラザール・ベルマン(ピアノ)

1930年2月26日現サンクトペテルブルク生まれのユダヤ系ロシア人。4歳で演奏会を行い、7歳で最初のレコード録音を行った神童。
東ドイツ国際青年音楽祭コンクール、ブダペスト国際音楽コンクール第1位。
ピアノの名手ギレリスがカラヤンに「私とリヒテルのふたりが4本の手で対抗しても勝てそうにないピアニスト」と答えたというエピソードが広く知られるように、素晴らしい技巧の持ち主。
「リストの再来」とうたわれ、フランツ・リスト賞も授与している。
ベルマンがクラシック名門ドイツ・グラモフォンにデビューした前後に録音されたのがこの盤で、ベルマンの最も高揚した時期の演奏と評されている。
リスト演奏にも定評があり、この盤は〈巡礼の年〉の決定盤といっても過言ではない。
2005年2月6日フィレンツェにて74歳で亡くなっている。

この本p62を読んでさて 聴こうと思ったら あれ~。 CDがありません。 そこでベルマンはカット。
p306を読んで ブレンデルを聴きましょう。

●  望 郷  (ル・マル・デユ・ペイ) アルフレート・ブレンデル   5:59 DECCA

さてここから私はさすらいました。 リストのピアノ曲集を聴いていたら私の好きな「さすらい人幻想曲」が
入っていたのです。 ロンドンフィルハーモニー管弦楽団・指揮 ゲオルク・ショルティ  
ピアノがよく弾けないシューベルトがピアノ曲を作曲し ピアノの超絶技巧士がコンチェルトに
編曲したものを聴いてみましょう。

● さすらい人幻想曲(シューベルト)リスト編   ホルヘ・ボレット   22:00 DECCA

ホルヘ・ボレット 1914年11月15日・キューバ/ハバナ~1990年10月16日

1939年(24歳)カーティス音楽院教官となる。
1942年(27歳)第二次世界大戦の戦況によりカーティス音楽院を休職して米軍に入隊。
1945年(30歳)占領米軍(GHQ)の音楽担当将校として来日。
1946年(31歳)GHQ任務中に、ギルバート&サリヴァンのオペレッタ『ミカド』の日本初演を指揮。
(8月12日/アーニーパイル劇場)
1974年(59歳)2月25日、ニューヨークのカーネギー・ホールに於けるリサイタルをきっかけに ピアニストとしての名声が高まる。 GHQによる来日時代は ボレットはピアニストというより 音楽プロデューサーや指揮者として任務についていた。しかし 後にボレットが20世紀後半に 世界を席巻する大ピアニストになるとは マッカーサー元帥すら想像も出来なかった事だろう。

人間は生まれてこのかた 巡礼しているのか さすらっているのか。 人生いつまで続くぬかるみぞ。ではなく 音楽にさすらうのは幸せと思います。 そこでもう一曲 クラウディオ・アラウで。 DECCA

●エステ荘の噴水 8:43 人に聴かせるというより 自分のために書いたのではないだろうかと解釈される。美しいだけでなく リストの内面を映した奥深い曲。 (水=鏡=自分の姿 心までもが映る)
言葉にはできない 音楽にしか表現できない思いが ここに込められていると言われている。 
ほとばしる水のように 光を受けきらきらと輝く。 私たちのこれからもそのようでありたいものです

 

 以 上

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