美空ひばり「不死鳥コンサート in TOKYO DOME」

AAFC例会資料

2017/04/23

担当 :高橋 敏郎

 

 生前「昭和の歌姫」とか「演歌の女王」と呼ばれた戦後日本が生んだ最大の歌手、美空ひばりが生まれた昭和12年(1937)は、以降日本が泥沼状態の戦時体制へと突入する日中戦争が始まった年でもあった。
 今年平成29年(2017)は、そのひばりの生誕80周年に当たるし、更には昭和が終わった年でもある平成元年(1989)6月に、まだ現役だったひばりが52歳になったばかりの若さで亡くなっているので、再来年6月には早や没後30周年という節目の年を迎えることになる。

 その平成元年6月以降、多くの識者やファンが ひばりの逝去を惜しんで彼女がいかに偉大な歌手であったかに関し、賞賛の声や記事と共にかなりの数の関連書籍も刊行されてきたが、その中で特に興味があった記述をここに掲載しておきたい。
 それはクラシック音楽の分野ではあるが、当時、小沢征爾氏と共に日本を代表する指揮者だった故・岩城宏之氏によるひばりへの追悼文である。その一部を略述させていただく。 

”ひばりさんの歌唱は、どんなときでもパーフェクトだった。(略) 世界中で彼女ほど完璧な音程の歌手は存在しなかったといってもよい。彼女は正規の音楽教育は一切受けていないはずだ。つまりその完璧さは生まれながらに持っていた才能、即ち天才だった。音楽史上、唯一の天才はモーツァルトだけというのが一般常識である。しかし僕はその言葉を、ためらいなく美空ひばりさんにも使いたい。(以下略)” (『週刊朝日』誌1989.7.7号)

 ちょっと褒めすぎかなという感じもするが、抜群の音感の良さで定評があった指揮者・岩城氏の言葉だけに妙に説得力があった。

 本例会では その波乱に満ちた生涯の中でも ほぼ最後となった死の前年、すなわち1988年4月11日に新設の東京ドーム落成こけら落しを記念し観衆5万人を集めて開催された彼女にとって最大のイべントとなる ”不死鳥コンサート” から幾つかの映像を観ながら、出来れば、彼女が最後に到達した情感豊かな境地をご一緒に検証してみたい。
 敢えて 岩城氏のコメントに加えれば、ひばりの”七色の声”といわれたファルセットを含めた正確な幾種かの裏声(ヘッド・ヴォイス)を交えた声域の多彩さとやっぱり曲に対する自己投入の深さと激しさであろうか。

演奏曲目の映像順 (13番目から30番目まで)

13. 「港町十三番地」  石本美由紀作詞/上原げんと作曲
14. 「花傘道中」   米山正夫作詞・作曲
15. 「車屋さん」   米山正夫作詞・作曲   
16. 「柔」   関沢新一作詞/古賀政男作曲
17. 「みだれ髪」   星野哲郎作詞/船山 徹作曲
18. 「塩屋崎」    星野哲郎作詞/船山 徹作曲
19. 「津軽のふるさと」   米山正夫作詞・作曲   
20. 「リンゴ追分」   小沢不二夫/米山正夫作曲
21. (ミニ・ドキュメンツ)東京ドームへの道  (ナレーター:徳光和夫)
22. 「真っ赤な太陽」   吉岡 治/原 信夫作曲
23. 「俺達の歌今どこに」   横井 弘作詞/船山 徹作曲
24. 「ひばりの渡り鳥だよ」   西澤 爽/狛林正一作曲
25. 「おまえに惚れた」   たかたかし作詞/徳久広司作曲
26. 「裏町酒場」   さいとう大三作詞/竜 鉄也作曲
26. 「悲しい酒」   石本美由紀作詞/古賀政男作曲   
28. 「われとわが身を眠らす子守唄」   なかにし礼作詞/三木たかし作曲
29. 「花蕾(はなつぼみ)」  阿久 悠作詞/吉田 正作曲
30. 「さんさ恋時雨」   石本美由紀作詞/岡 千秋作曲 

  演奏 チャーリー脇野 指揮 ひばり&スカイ & 東京室内楽協会
   (1988.4.11 東京ドームにて収録)  

以上