朝比奈 隆 ベートーヴェン・チクルス

交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」 (映像)

AAFC例会資料

2017/07/16

担当 : 霜鳥 晃

 

本映像は、2001年4月22日 NHK BS2 クラシック・ローヤルシートにて、 朝比奈隆 「世紀のベートーベン」と称して放映され、VHSに録画しDVDに ダビングしたものです。

演奏は2000年に行われた第9回ベートーヴェン交響曲連続演奏会における5月10日 ザ・シンフォニーホール(大阪)で行われた「運命」全曲。
管弦楽は大阪フィルハーモニー交響楽団。

朝比奈隆最晩年92歳の大快挙を映像でご鑑賞ください。(全55:24)

 

朝比奈 隆 (1908~2001 93歳没)

1908年7月9日 東京牛込の小島家に生まれる。母小島里の3男?(出生名 小島隆)
(明治41年)    生後間もなく鉄道院技師 朝比奈林之助の養子となり、朝比奈姓となる。
1923年 (15歳) 養父が、2年後養母が相次いで病死した為、朝比奈姓のまま小島家に戻る。
養父母の死により、朝比奈は実父が渡辺嘉一と知る。
1928年 (20歳) 京都大学法学部入学。ヴァイオリンを同大音楽部のモギレフスキーに、指揮をメッテルに師事。
1931年(23歳) 京都大学法学部卒。実兄の推薦により阪急電鉄に勤務。
1933年(25歳) 阪急電鉄退社。京都大学文学部に学士入学。1937年卒業。
1936年(29歳) 初めてオーケストラ(後の大阪フィル管弦楽団)を指揮。
1940年(32歳) 新交響楽団(現N響)でチャイコフスキー交響曲第5番を指揮し、プロデビュー。
以降上海響、ハルピン響などで指揮。 
1941年(33歳)田辺製薬創始者の実弟の長女 東京音楽学校ピアノ科卒の町子と結婚。神戸市に居を構える。
1945年 (37歳) 関東軍の嘱託を命ぜられ赴任、妻と長男を呼び寄せ、本格的に満州に移住。
           8月終戦。1946年8月やっとの思いで神戸に引き揚げる。
1947年(39歳) 関西交響楽団を創設し、常任指揮者となる。
1960年(52歳) 大阪フィルハーモニー交響楽団と改組して、大阪楽壇の中心的役割を担う。
亡くなるまで1つのオーケストラのトップ指揮者を54年務めたことになる。
1994年 (86歳) 文化勲章受章        
ドイツ音楽を得意とし、特にブルックナー及びベートーヴェンは評価が高い.
ベートーヴェンの交響曲連続演奏会は1951年より2000年の間9回行っている
朝比奈は90年代以降、「ストコフスキーの最高齢記録を抜く」と公言し、一見では特に大きな身体的故障も無かった為、記録達成は容易と見られていたが、2001年(平成13年)10月24日の名古屋公演後体調不良を訴えて入院、そのまま復帰することなく12月29日に死去した。「立って指揮が出来なくなったら引退する」として練習中でも椅子の類を使わず、最後まで立ったまま指揮をした。生涯現役であった。 (主にWikipediaより編集)
(注 レオポルド・ストコフスキー 1882~1977 95歳没、 公開演奏は1975年 93歳まで)

交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(37:13)
     第1楽章 Allegro con brio  ハ短調 2/4拍子 ソナタ形式・・・・・・(9:22)
     第2楽章 Andante con moto 変イ長調 3/8拍子 ・・・・・・・・・・ (10:31)
     第3楽章 Allegro (Scherzo) ハ短調 3/4拍子 ・・・・・・・・・・・(5:50)  
     第4楽章 Allegro      ハ長調 4/4拍子 ソナタ形式・・・・・ (11:30)

以上