フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (Franz Joseph Haydn)

AAFC例会資料

2017/11/12

担当 : 池田 充宏

 

■ 略 歴

・ 1732年オーストリアのハンガリー国境に近いニーダーエスターライヒ州ローラウ村で生まれた。父親は車大工兼地域の裁判官であった。

・ 6才の時、音楽教師をしていた叔父に声の美しさと音楽的才能を認められ、彼の合唱団と小オーケストラの楽員として引き取られ、音楽上の経験を積んだ。

・ 1740年ウィーンの宮廷楽長兼シュテファン大聖堂の楽長であったゲオルグ・ロイターに見出され、ウィーンに移住し聖堂合唱団の一員となる。

・ 1749年18才となり声変りのため合唱団を追われ、以降10年間自由な音楽家として様々な仕事(作曲、編曲、レッスン等)を経験した。

・ 1761年から、西部ハンガリーの大貴族エステルハージ家の楽長として採用され、以降30年に渡りニコラス・エステルハージ侯爵のために作曲、演奏を行ったが、音楽好きでハイドンの良き理解者であったエステルハージ侯の死去により解雇された。

・ 自由な音楽家として活動を始めたハイドンに興業師ヨハン・ペーター・ザロモンが英国で新作の交響曲を大きな弦楽楽団で演奏することを提案し、ハイドンは1791年~92年、1794年~95年の2回で12曲の交響曲を作曲し、渡英し大成功を収め、名声と富を得た。(第93番~104番はサロモン、又はロンドンセットと呼ばれる)

・ 交響曲、弦楽四重奏曲、協奏曲、オラトリオ、ミサ曲、歌曲、オペラ、クラヴィア曲等、多くの作品を残し、1809年ナポレオンのウィーン侵攻の中で77才で死去した。

 

■ プログラム

1 弦楽四重奏曲ニ長調、Hob.Ⅲ-63「ひばり」全曲(第1楽章~第4楽章)
      イタリア弦楽四重奏団(1945年結成~1980年解散)
                (18分18秒、1965年録音 PHILIPS)

2 交響曲第100番ト長調Hob.Ⅰ-100「軍隊」全曲(第Ⅰ楽章~第4楽章)
      ブルーノ・ワルター指揮 コロンビアSO.
                (25分57秒、1961年録音 SONY)
   (ワルター=b1876年ベルリン~d1962年カリフォルニア)

以上