ヘンリク・シェリング 1984年来日公演 (映像)

AAFC例会資料

2019/05/12

担当 : 霜鳥 晃


 

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61(全曲)、バッハ シャコンヌ(一部)

本映像は、2003年4月13日 NHK 第2 N響アワーにて、「名演奏プレイバック」の第1回として~心にしみいるバイオリンの音色 シェリングのベートーベン~と称して放映され、VHSに録画し、DVDにダビングしたものです。

 

演奏は1984年4月18日にNHKホールで、指揮:ロレンス・フォスター、管弦楽:N響 で行われ、シェリング66歳 3度目の来日公演をご鑑賞ください。
尚、これに先立ち、初来日公演(1964)より、バッハ「シャコンヌ」の一部も紹介されました。

解説に作曲家:池辺晋一郎氏、アナウンスに女優:若林麻由美さんが登場します。 (全58:44)

Henryk Szeryng  (1919~1988 69歳没)

ユダヤ系ポーランド人で、メキシコに帰化したヴァイオリニスト・作曲家。ワルシャワ出身。

5歳より母親からピアノの手ほどきを受ける。7歳よりヴァイオリンを始め、同じくポーランド人の大ヴァイオリニスト フーベルマンに見出され、ベルリンに留学し、1929-32年カール・フレッシュの厳しい指導を受ける。

その後、パリ音楽院に入学、ジャック・ティボーに師事、作曲をブーランジェ女史に師事、1937年に18歳で同校を首席で卒業する。

ソリストとしてデビューは1933年(14歳)にブラームスの協奏曲を演奏し、以後活躍しだす。

第二次世界大戦中は、ポーランド亡命政府のために通訳を務めるかたわら、連合国軍のために慰問演奏を行う。

1942年にポーランド難民移住計画交渉のためにメキシコに渡ったことで、メキシコと深い関係ができ、戦後、メキシコ・シティ大学に音楽学部が設立された時は、友人でメキシコの作曲家マヌエル・ポンセに招かれ教鞭をとることになる。

1946年にはメキシコ市民権を得た。その後も教育活動に専念したが、1954年 アルトゥール・ルービンシュタインの後押しにより演奏家として復帰した。
ニューヨーク市におけるデビューが、きわめて高い評価を得、余生を幅広い演奏活動のうちに過ごすようになる。

1988年にカッセル(ドイツ)にて客死。拠点を置いていたモナコに埋葬された。
シェリングはたくさんの録音を残しており、とりわけバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータは、ミルシテインの演奏と並んで評価が高い。
得意とするのは、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスといったドイツ系の正統的な作品のほかに、ヴィエニャフスキやシマノフスキのようなお国ものや、近現代作品にも意欲的にとり組んだ。

シェリングの演奏は、大曲では強くしきしまった表現で、内面性を深く厳しく描き、小曲では清潔な造形性であか抜けた爽やかな演奏によって、聴くものの心を惹きつけるヴァイオリニストであった。

主な使用楽器は1743年製 グァルネリ・デル・ジェス「ル・デューク」(Wikipedia+ライナーノーツで編集)

J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 二短調 BWV1004より「シャコンヌ」(一部)・・(3:56)     

ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(47:26)

第1楽章 Allegro ma non troppo  ・・・・・ (25:34)
第2楽章 Larghetto  ・・・・・・・・・・ (9:31)
第3楽章 (Rondo) Allegro ・・・・・・・・(9:48)  
             (カデンツァ:第1,2,3楽章 ヨアヒム)

以上