2008年5月30日

オーデオ ラジオ 駄話し シリーズ その 第1話

あるオジサンの回顧録


今から5X年前に何でも物を見ると無性に中身はどうなっているんだろうと思ってしまう小学生の子供がいました。
  親は転勤族で何年かするとお尻が暖まったかなと思うと転勤の話が出てきて小学校も1年生と5年生で突然の転勤です。
気持ちの整理も付かないまま新しい学校に通う羽目になります。覚えていない転勤を合わせると5回の住所変更です。
やっと中学以降、親が現役の引退で定住者となり引っ越す事はなくなりました。
 
何故か小学校入学前の幼稚園の時に Uの字型をしたご婦人の髪留めを右手と左手でつまみ AC100Vの壁コンセントの二つの穴に えいや と差込んで目の前が真っ白になり火の玉が何個か飛んだのが 電気シビレ 事始めでした。家中大騒ぎはもちろんの事です。本人はぎゃーと言ったかどうか飛び散った白い火の玉だけ覚えています。
  
家中の何個かの時計はぜんまいがほぐれたままで家の隅に転がっています。ぜんまいの横の部分で何度も手の指を血だらけにしました。あれは二度と元に戻らないことを知るまでは収まりませんでした。チクタックコチコチの音が出なくなった時計はギヤとぜんまいが永遠にさよならしてジャンクの箱の中にころがっております。

文字盤は恨めしそうにこちらをにらんでいます。こまったもんです。なぜか血だらけになったお陰で時計屋にはなりませんでした。テンプのぜんまいは同心円の渦巻きからとんでもない形に姿を変えて伸びきっているのは当たり前でした。

破壊主義者のレッテルを周りの人たちから付けられたのは当然のなりゆきです。

 小学校の低学年のころに隣の家の大学生の兄弟のお兄さんがとっても可愛がってくれて随分遊んでくれました。そのときお兄さんか弟さんか思い出さないのですが、自作の通信型の中間周波トランスのいっぱい並んだラジオを鳴らしていたのを垣間見ていたのを 今思うとアマチュア無線かSWLをしていた様子でとても遠方の放送局の音を聞かされた記憶が蘇ります。
子供心に四角いアルミの筒が行列してシャーシの上に有ったのを考えるに50年以上前とすると随分高価な部品を集めて自作をしていたものですね。


2回目に続く