2008年06月29日

オーデオ ラジオ 駄話し シリーズ その 第3話

あるオジサンの回顧録


小学校5年生の始め関東地方にまいもっどって来ました。しゃべる言葉は本人は普通に喋るのに地方弁丸出しでした。転校生は始めのうちは学級に溶け込むのに大変でした。
そのうち数ヶ月経過してなれて地方弁は薄れていきました。今では少しの言葉しか思い出せません。今から50年以上前の常磐線は茶色の通勤電車で省線電車の名残りの車両です。
蒸気機関車も走っている状態です。日暮里駅で米の袋を山ほど抱えた集団が都会に売りに来ているのを見ました。そう言えば担ぎ屋のおじさんおばさんも車両の2つぐらい占領していましったっけ。米穀通帳はどこに行ってしまったんでしょう.記念にお持ちですか?

常磐線の終点は上野駅です、西郷さんの側に東京文化会館があります。皆さんも通われたかと思うのですが、帰りの切符を改札口を降りたとたんに買っておかないと帰りに数の少ない常磐線の発車に遅れてしまい泣くことになるのを覚えたりしました。
コンサートは夜の7時スタートで9時ごろ終わりますが910分ごろ電車は出てしまいます.終るとかけっこでホームに走ります。これを逃すと30分ぐらい泣きの涙で待つこととなります。何回かけっこしたか楽しい思い出ですが電車のなかでハアハアしていました。
文化会館から帰る人並みがどっと出てきて端っこの常磐線に行くまでに走っているのはあれだけ人数がいてもせいぜい3人ぐらいです。千葉県側に帰る人は皆無の状態です。
みんな山手線と京浜東北線に流れて行きます。50年前ぐらいはチケットを買ってクラッシックを聞くようなファンは常磐線沿いには大変少なかった思いがあります。AAFCの様に月に2回集まって楽しんでいるなんて凄い!昔を思うと考えられない状態です。

そのような時代始めてのゲルマニュームラジオを作りました。半田ごても無くはさみとAC100Vのコードを切って端子に縛り付けて配線です。どうしてクリスタルイヤホーンを手に入れたか思い出せません。コイルとバリコンは破壊主義者の時代に分解したラジオの残骸です。金物屋に行って裸銅線の巻いたのを延ばし歯ブラシの握りのところのプラスチックを2本使い絶縁をしてアンテナとして使いました。
電灯線アンテナもトライして円筒形チタコン250PFをAC100Vの片側にさしてシビレやしないかと思いつつ分離度の悪いのは当たり前ですが各放送局の電力と距離とで検波出力に差が出るようです。所でコイルもバリコンも無くしてアンテナと検波ダイオードと抵抗を直列につないでアースに落とし抵抗の両端にクリスタルイヤホーンをつなぐとどんな調子で各放送局が聞こえると思いますか?次回のお話で種明かし。

4回目に続く