お友達の捨てたOUT-PUT トランスが1つだけあったのでうんうんと部品のやり繰りをして6BX7のPPのAMPを作ったのはいつだったか思い出せない状態だがそれ以来最近まで出力トランスを付いたAMP作成をしていないことに気が付いた。出力のでないAMPだったが小さな音で深夜放送を、毎晩毎晩聴いた思いがある。
この頃ボイスコイルのインピーダンスが400オームのスピーカーが2本か3本ころがっていて自作の6R-A2の真空管を使ったOTL-AMPで鳴らしていた記憶がある。
SP−BOXは、袋戸棚の下を使って、扉代わりに代わりのバッフル板を取り付けていた。簡単な押入れSPである。バスレフ郷土は反対の扉をずらす事で調整していました。
音源は高周波1段のゲルマ検波のチューナーを作ってもっぱらNHKのクラッシック番組を聴いていました。あの有名な何回も続いた番組を楽しんでいて、1週間に1回しかないのを残念がって楽しみにしていたのを思い出します。
ある日、コントラバスのどんな演奏者か曲目か今では思い出しませんが、今まで聴いたことが無いような低い音がたっぷりとした音でラジオとは言っても、びっくりする音で聞くことが出来、それ以来出力トランスのあるAMPはすごい抵抗感が伴うようになりました。未だに低い音の朗々と鳴る音が感触として残っています。
時代的にラジオ技術はナショナルのMFB−SPの出た頃で盛んにMFBの実験記事が書かれていました。もちろんお金が無い状態で、もんもんと考えてスピーカーのダブルコーンの隙間にエナメル線の細いのを巻きつけてピックアップコイルを作りAMPの帰還回路に戻し随分遊びました。
鳴らした音は比較のものが無いのですが、SPの前に音がこぼれて来る感覚です。貼りついていた音が離れる感覚です。この後製作実験記事は数年で段々掲載されなくなりました。最近、又一部で記載されているようです。
音源はこの頃はFM放送の音源を友達からズート勝手に借りて聞いていました。とても今までのAM放送の感覚ではなく、コマーシャルも大人の放送でした。クラッシックもたっぷり放送していました。いい時代ですね。
9回目に続く