何かの縁で趣味としての電気工作の世界に紛れ込み、何で聞こえるんだろう?の鉱石ラジオから始まり、いろいろな事に手を出し、足を出し、して、秋葉原お出かけも一通りのパターンを通過し、類は友を呼ぶの例えのとうり、共に交われば赤く染まり、一般人から見れば(好きですねー)の一言だが、本人は可なりのめり込んでいても、いつも会うご趣味の御仁は、もっともっとのめり込んでいるので、同好会の士の趣味の世界は深く広く、(標準基準)が無いだけに始末が悪くて(紙一重)の所に居るのが解らない状態に陥ります。
チョッとした加減で、自分は可なり紙一重かなとは思うが、紙一重どころか、どの世界でも上には上が居て己は(まだまだ)と安心するのだが、世間の方からすると(んー・・・・)と見られる御仁も少なく無いようですな。
亭主の赤烏帽子なんて言葉は遥かかなたで、不ぞろいな趣味の世界であなたすきねーでお互い一緒の空間に居ると相手も別の趣味があり、このとき相手の趣味をまったく理解できないと悲劇がおとずれ、月と地球と同じ様に時間と共にじりじりと遠ざかって行きます。人生のレクイエムの時期になると、おじさんの周りにはジャンクが散乱し、(家の宿六が)と言わしめられます。貴方の心当たりはいかが?
音楽の世界にも狩猟民族の仲間を呼ぶ声から始まって農耕民族の収穫のお祝いの喚起の踊りに伴う感謝の声が自然発生でこれが、いつしか音楽に結びついてきました。その土地に行かなければ理解できない民俗音楽は他民族から見ると異国情緒豊かな世界に引き込まれます。趣味の世界も同じ音楽好きでも、音楽そのものを楽しむ方と再生装置中心の方と二分されますが、一人一人の楽しむジャンルは共通事項は存在するのですが、楽しみ方は一人一人全部異なります。わたしはこれよ!とかたくなな方は段々と集まりの中で遠ざっかって行くようです。
あーなるほどなーと、あんなかたもおられるんだ、(おもしろいなー)すごいなー、の感覚がないと、長く続きません、貴方はこんなことやっているんだ、すみません、色々教えてくださいの心構えで居るほうが、いっぱい教えてもらって得に成りますよ。趣味は自慢したらそこでおしまいです。 やってますハイ・・・程度がよろしい、爺になって気がつきました。これが解るまで少年学なりがたしでしょうか?
21回に続く