2009年11月14日

オーデオ ラジオ 駄話し シリーズ

その第33話

あるオジサンの回顧録

 

  久しぶりに本棚の中から、背扉が私を見てと、覗いているのを手にとって、引っ張り出した。伊藤喜多男さんの音響道中膝栗毛である。(ISBN4−416−18723−7 C2055 P2060E)誠文堂新光社発行
 
  明治45年から昭和の中ごろまでの、著者の電気と共に生き抜いた、人生感と現実の世界の葛藤を記したもので、なかなかの気骨に満ちた、生涯論がめんめんと、綴られている。

  考えて見れば、私の親のほぼ、同じ時代に重なった伊藤氏の生い立ちと電気の趣味にした発端から、仕事にして、生活の糧にしたときの苦労話が、氏の明治生まれの、あの気骨精神と共に読めるのはうれしい限りである。

  明治生まれの両親の元に生まれた、終戦間もない昭和っ子のオジサンとしては、何回も読んでも引きずり込まれるのは、親の年とそんなに変わらない著者の時代が記されているなのかと、今、気が付いた次第である。

  楽しいのは、ウェスタン・エレクトリックのイラストが著者自筆で描かれていることと、その時代背景があり、回路図集が未卷に記されていることで、このお値段でこれだけの回路図は手に入らない。
 
  趣味ではなく、プロのAMP、どんな時でも壊れない、動作を保障すると、言う基本的なことに成り立った、ウエスタンの姿勢は、最近の家電製品の(うすべったさ)に求められないもので、この手のマニアにはたまらない魅力なんだろうなと感じいた次第。

  半田付けが好きで、鉱石ラジオいや、(ラヂオ)を作ったのが運のつき。その内に人生の一時期に、電気のおかげでご飯が食べられる時期になる前に、この本を読んでおけば、プロの精神も、少しは育ったのにと、今になってはもう遅い、なぜならば、もう電気と違う世界で、毎日の生活を、明日のご飯はどうしようかと、思案投げ首している次第。

  伊藤氏の生涯にわたる電気で飯を食う、生活はもう私には無いと思うと、プロの世界で伊藤氏が苦労したかもしれないが、ワタシャ ちと(うらやましい)・・・・・・。

34回に続く