2011年01月09日

オーデオ ラジオ 駄話し シリーズ

その第45話

あるオジサンの回顧録

  
 興味と言えば、私の場合は電気関係であるが色々な分野にわたって、仕事柄、垣間見える趣味の世界は千差万別である。この間訪問したお宅には、さまざまな、お人形がクラシック調のガラスケースの中に納まって私を何体も見つめていました。

 買われたんですか?の疑問に、(私が作ったものです)とのご返事、大変立派な出来上がりのアンチーク調の一体30センチから40センチもある人形でした。その傍にはにこやかな顔をしたご婦人がたたずんでいられます。

 ふとその時思ったのは、作者のお顔と、人形の顔が非常に似通っていることです。不思議と作品の中のご婦人の雰囲気が混ざり合っているのです。その人が作り出す作品とは作者の味がかもし出されるのかもしれません。

 自作のAMPにも、長年何台も製作回数を重ねるにしたがって、製作パターンも固定化され、その人なりの雰囲気をかもし出される外見となり、演出される再生音も、あーなるほどと、音の鳴らしだす前に、解ってしまう事が出てきます。

 何回か、製作記事の筆者の演奏発表会に通うと、もうあの人は、ああ言う感じの再生音を目指しているのだな、と思い配線テクニックの実物を拝見した後は特に、この様な配線をするとあんな音が出るんだと納得する次第です。

 製作記事の写真を拝見しただけで、こんな傾向の音が再生されることがだいたい当たるように成ります。数多くのAMPを見れば見るほど解ってくるところもありますが、中には拝見して配線とは別の要因で想像の思った音とは違う再生音がこぼれ出る事があります。

 あれ?なんだろうな、どうしてだろうなと、言う時も有りますが大体想像できるような音が出ている時は多分、あそこだろうな、ココがこうであそこがあんなで、・・となります。   
自作の一品製作ものは、なかなか、興味しんしん、創意工夫と情熱の塊で楽しいものです。私は外見よりも中身の配線臓物を見るのが楽しみです。同じ様な配線テクニックをつかった複数の製作者の再生音は、みな同じ傾向となるようです。

第46回につづく