2011年03月7日

オーデオ ラジオ 駄話し シリーズ

その第47話

あるオジサンの回顧録

  
 ここ何年かの間に、世の中はかわり、会社勤めの初めの頃は、レポート提出の時は手書きの物をアンモニア反応の青焼きの紙を束ねて提出していたのに、白地に黒のトナーコピーに変貌し、会社を当ても無く卒業する頃はパソコンと称する物が蔓延し、演算処理装置と言っていたものが、日本語に訳すると(窓)なるものが現れ、たていすかんなにらせ、なるKYEを相手にしなければ、会社勤めは困難になり、柔らかい頭にならないと対応できなくなりました。
 
 これはまずいと上司がワープロなるものに、わが課はこれにすると機材を導入したのはいいのだが、周りの課はパソコンの投入で置いてきぼりとなり、互換性が無くなり困った思いがありました。ワープロは文章製作はGOODなのですが、集計計算はダメージが大変でした。
 
 唯一、残ったのは昔ヘボン式などと、覚えたローマ字のアルハベットによる表記を思い出し今でも何とかKYEボードを叩ける事でしょうか。ただしブラインドでは叩けません。

 未だにパソコンの事は訳がわかりません。色々な専門用語を戸板に水を流すように、お話しする方を相手にすると、よくご存知だなーと、尊敬の世界です。何とか起動してTVのようにすぐ使えない苛立ちと共に、KEYを叩いて文章を書いている次第です。記憶媒体も5インチのフロピーから3,5インチとなりいつの間にか2000年ごろにデビュウした、USBと称するメモリーが年月を経て、考えられないぐらいの容量を持ったものがとんでもない値段で売られています。

 USBの言葉はいいのですが、ジジイの世代になると無線の世界で電波効率の良い使用方法として何十年も前から親しんできた者にとっては、いささか抵抗があります。同じ頭文字のUSBだからです、話のながれで無線もオーデオも楽しんでいる環境では、こっちだなあっちだなの頭の切り替えが大変です。

 きゅうちゃんと、人の名前を愛称で喋るのに、お化けのきゅうちゃんと、歌手のきゅうちゃんと、マラソンのきゅうちゃんで世代がわかってしまうのと同じかなー・・・・。          

第48回につづく