このところ、ミシェル・ルグランの佳曲「これからの人生(What Are You Doing The Rest of Your Life)」が時折音楽と何の関係もない状況で浮かんでくる。それも聴き馴じんだメロディーよりも先に曲名のWhat Are You
Doing?「~何をしていますか」が言葉として・・・。で、自分は何をしている?
数年前、仕事は十二分に堪能!して退職。これから一挙に増える自由時間の使い方を考えるだけで心が弾んだ。
仕事との関わりは一切排除するも学生時代、現役時代からの友人たちとの付き合いは続き、AAFCをはじめ趣味仲間との新たな日常、楽しくも慌ただしい日々を送る中、あらためて今何をしているかとの自問が。
整理能力、計画能力がなくあるのは夢想癖で、楽天的なためスケジュール表は数か月先まで埋まってはいるが、あまり先のことを考えることは少ない。そんな中、「何をしている?」が度々浮かぶと、さすがに残された時間を思わざるを得なくなり、あせりはないというと嘘になる。好きな音楽にたっぷり浸る、気になる作家、作品をじっくり読む、新緑の季節に気ままな地方旅行を、できれば海外旅行も等々の思いは常にある一方で、長年にわたる家庭内職務怠慢容疑の被告人でもあり、時間が・・・。時間のやりくりは、家庭内での難しい舵取り(取る舵がない?)が悩ましい中、如何に其々の優先順位を確保するかに腐心する毎日。
一様に流れる絶対時間に対する相対時間、理論物理学を持ち出すまでもなく、誰もが楽しい時は、あっという間に進み、気にそまぬ時間は長く感じる。最近は、就寝時には明日の、寝起きには今日の予定を反芻するのがここ数年の習慣になっていて、これに思いの外嵌っている。楽しい予定は、あれこれと顔触れや段取り等が浮かぶ。また、予定に限らず頭に浮かんだことに思いを巡らす。結果として思ったことのいくつかは記憶に残っており、わずかな時間ながら別枠の楽しみの時間(別腹ならぬ別時間)を獲得したように感じている。
ここで突然、夢の話を。子供の頃から現在まで、毎日欠かさず少なくとも2、3本の夢を見ている。最初の海外旅行は、少年時代10歳頃の夢の中でのニューヨーク、最初にカラーを意識した(マンハッタンのネオンサイン)夢だった。若い頃(学生時代~30代)は、就寝時の集中次第で夢をコントロールすることが出来た。行きたい所や見たい夢を選ぶ(夢の選択)、目醒めた後続きを見る(夢の継続)、夢中での中断・場面切り替え(別の夢へシナリオ変更)等々。また、予定や課題を夢で先行体験すること等も。覚醒後の成否は、望みどおりの夢か否かで成功率は約20%。珍しい夢は、目覚めてすぐ忘れないように枕元のノートにメモしたことも。夢は時空を超える時間旅行であり、好ましい夢は新たな記憶の獲得、相対時間の効率的利用法だと勝手に考えている。
何方も、その気になれば訓練次第である程度夢のコントロールが可能です。忙しくても可能な格安時時間旅行をぜひお試し下さい(マル秘コツ有り、教えます)。 と書いたところで、永年の鍛錬不足でこの技がほとんど機能しなくなっている。嗚呼!
閑話休題
能天気に過ごす中、先のことを想わざるをえないことが・・・。外出先からの帰宅時、とりわけ美しい夕陽、夕焼けを何度か見ることがあり、その度に3.11後の被災地と原発事故後の先の見えない状況が脳裡に浮かぶ。自宅に戻っても何とも言いようのないやりきれなさに襲われ、いつもは帰宅するとスイッチを入れる装置にも触る気にならず直ぐには何も出来ない。過日は、少し落ち着いてから「憐れみたまえ、わが神よ」(マタイ受難曲/A.キルヒシュラーガー)、「おいらはないものだらけだぞ」(ポーギーとベス/W.ウォーフィールド)を聴き、最後に「グリーグ:ピアノソナタホ短調」(第2楽章/G.グールド)を聴いてようやく日常に戻ったものの、何も出来ない自分、子供たちや次の世代を想うと申し訳なさ、無力感のみが残った。
アナログ、デジタルを問わずこの2年で6回いや7回、わがオーディオ機器はツキに見放されトラブル・故障の連続。その度に人体の精巧・精緻、深遠を想う。幼少時、命にかかわる大病はしたものの成人して以降、歯科でのパーツ交換以外オーバーホールなしで何とかここまで来れたことに改めて感謝せずにはいられない。元気でいられるのはあと何年と自分なりの想定はあれども先々のことはわからない。「一つ一つ」が口癖の身としては、今日一日のことだけを考えて過ごし、先のことは精々今日の延長としての明日までのことに止めると思い至った。
結論1(決め事):今日が元気でいられる最後の日と思って予定を立て過ごす。(一日は結構長いと気付く)
結論2(決め事):「好きな食べ物は最後に」で通してきたが、本日から改め、好きなものを先に食す。
結論3: 好きな音楽があって良かった!
先のことと言えば、あの世はあるのだろうか? 2年前、米国脳神経外科医の世界的権威が「死後の世界は存在する」との発言で大論争になっているとの報道があった。彼は、これまで死後の世界の存在を完全に否定してきた人物とのこと。本人の奇跡的ともいえる臨死、回復体験からの報告データによるもので、これまで臨死体験は脳の記憶の誤作動や再起動説が一般的であったが、これを否定する医学的データが得られたとの記事が。
あの世があるとなれば、会いたい人が何人も。何より先ず第一に、還暦後すぐに逝った兄に土産話が山ほどあり数年前から準備済みでいる。他にも会いたい、話したい人が大勢。出来れば敬愛する内外の作家や音楽家にも会い話をしたい。あちらでは、時間を気にすることはないとのことで今から楽しみな限り。あれっ!土産話や質問リストを作るにも、また時間が・・・。ま!これも楽しみの一つ。
補遺:あちらでは音楽会、映画等は誰でもすべてフリーパス、もちろん好みの音楽はいつでもどこでも装置不要で時間無制限、自由に聴けるようです。
「時間」について思うところを記すつもりが、夢想に走り煩悩に衝かれた駄文で大変失礼いたしました。
次回は、小林延郎さんにお願いいたします。