地球上に人類が現れてから現代社会のマスプロの中で色々な音が流れています。1920年にアメリカのウェスチングハウス社が世界最初とされるラジオ放送局をKDKAのコールサインでピッツバークから50Wの真空管6本を使い833kHzの電波を使い放送を始めました。
1800年代の終わりに電磁波の存在がわかり、音声が電波に乗ることが研究され、魔法の振動板のスピーカーから音が聞ける様になったのはごくごく最近です。
ターマンのラジオ工学ハンドブックがありますが、NHKの60年ほど前の翻訳本を見てもどこまで工学的に進歩したのか真空官AMPの趣味の世界ではどうも変わりないなーと感じます。
鉱石式ラジオはヘッドセットタイプのレシバーでした。
周辺の人は楽しめませんでしたが、ラッパ型SPとなり、蓄電池式、エリミネーター式、お馴染みの国民型ラジオと進むとダイナミックタイプのSP,マグネッチックSPと変化し、SPはラジオの内蔵型となり、今の様に、普通に聞くようになり、日本では大正14年3月22日にラジオ放送開始でAM放送の幕開けとなり、身近に放送娯楽が庶民に楽しめる時代がやってきます。
性能こそ発達して来ましたが、未だにSPの基本構造がほとんど変わらないのがご愛嬌でしょうか。
人類発祥のコロニーから色々な壁画が発見され、今の目線で実に芸銃的なセンスで描かれています、野を走る動物たちの見事なフォルムの描写は私的には下手なデザイン通の粋を超えた凄さに惹かれます。
目で見た物を石壁等の表面に描かれたものは運がよければ後世に残りますが、その時、共同制作者は周りのコミニケーションとしての会話はどうしていたのでしょうか。当然お手手もあれば足も在る、声を出すお口があれば十分で、会話をしていたのでしょう。
ところで、耳もあるので音を聞いていたのはどんな音だったんでしょう。太古の音、それは自然環境の音となります。ラジオ放送もテレビも無いなら当たり前ですが。
自然世界の音は光で言えば木々の木漏れ日、風で生ずるざわめき、小鳥たちの声、他の動物の動きの音、自然の脅威から自分の身を守り動物たちの音をまねることにより、日々の食料を手に入れる生活だったはずです。
西洋では支配者の元に頭に鬘をつけなければ作曲生活できない音楽家という職業を生み出しました。支配者の娯楽指示の中で職業音楽を決まった楽器の音程の発想のわくのなかで音楽の花を開花しました。鬘の下はどの程度になっていたんだろう。
人類が日々生活する中で太古の人々から受け継いだ音楽の基礎は収穫を祝い、雨乞いをし、目に見えない脅威から逃れる呪文の音、民族ごとの狩の出陣の士気を高める音等が在ったはずです。生活に対する密接な音は音階が曖昧な中に成り立っています。
最近、クラッシックと呼ばれる音楽を聴くのもいいけど、やけに常磐津、端歌までは行かないが、民族音楽に端を発する楽曲のほうがしっくりするのは何なんだろう。
好みのジャンルは人さまざまだが、西洋音楽のクラッシクのフレーズも鼻歌でやれるけれど、生活の中から出てきたJAZZとか日本で言う一昔前のわかりやすい歌謡曲のほうが気軽になってきた。TANGとなれば、地球のなぜか、裏表なのに、蒙古斑点のお尻の若かりし色の共通からか大好きな音楽の1つである。
京都の8月のチントンシャンのメロディなんていいと思いません?川端康成の古都なんていいよ。双子の姉妹が会う場面で山鉾チントンシャン。山口ももえの主演の映画がよかったな。
ところで、西洋音楽だろうが日本の歌謡曲だろうが、殆ど大半が、男と、女のラブゲームを歌ったものが大半で、イタリア語だから、ドイツ語だろうが歌詞の付いた物は、窓辺の女の子を口説いているか、失恋したかの違いで、どろどろした所をさりげなく表しているだけでみんな西洋式歌謡曲に聞こえる今日このごろ。どうも体格のいい蝶々婦人はあまり好きではないなー。
悲壮感が伴わない。まだ、岸壁の母のほうがしっくりする。
街中散歩の時に聞く、鳥のさえずりのほうがずーと音楽的でいいなーと思う心境で自宅のオーディオ装置は、ほこりをかぶっている。いや動くものが無く、TVのSPからたまのクラッシックの1フレーズがやけに良かったり、ラジオの深夜便の音楽がとても身にしみる毎日で、自分さえ気持ちよく聴ける音楽がわざわざ身構えて聴かなくても、その時々であれば良いという心境
で毎日を送っています。
音楽をデンキと言う媒体でいつでも失われた音を再現できるのは幸せな事ですが、デジタル化のために基本フォーマットが変わると、音も出なくなるデジタル化の大海の上に漂う小船と化し、時代の船から転げ落ちている気持ちで、再生装置の残骸を見ながら、今日もどうするか悩んでいる毎日です。
ラジカセの音もいいなー。山の神の声はいらんなー 己の声が出なくなる。
散歩しながら遭遇した、猫をかまって、雲の流れを見て、小鳥の声を聞き風のざわめきを感じ、たまに雷の音を聞き、雨の落ちる音を聞くのが良くなってきたのは年のせいかな?だんだん小泉八雲の自然神の世界に向かっている。
オーディオの妖怪に取り付かれた君(あなたですよ)は気をつけなければ夜中に食べられてしまいます。人生オーディオセットに翻弄されていません?音妖怪に蝕まれたあなたですよ。
リレーエッセイスタートの冒頭に秋山ちえ子の談話室でと、タイトル「今 思うこと」と表題の由来が記してあるが、現在TBSラジオで毎年8月15日に「かわいそうなぞう」の朗読で上野動物園のジョン、ワンリー、トンキー(花子)の放送がされるのを聞くのが恒例になっています。毎日ラジオで何年も聞いた談話室、今は聞くことが出来ませんが、懐かしいちえ子さんのお声が流れるのがあっという間の貴重な1日、光陰矢のごとし、1年経過を実感する今日この頃です。
次の担当は大久保さんにお願いします。