私は普段タンノイアーデンを使っているが、先日ふと思い出し、テーブルの足に使っている、43年前に購入した、セレッションディットン15を聴いてみた。当初ぎこちない鳴り方だったが、2-3日たつときちんと鳴りだした。その後引続き使っている。
物理性能はアーデンが上なのだろうが、音の性格はこちらが好きなのだ。南シナ海、太平洋を往復し、満身創痍でツキ板もはがれかけているジャンク品だが、その音が悪くないのだ。なんとなく品位のある音に聞こえ、捨てがたい味がある。
一方ここ10-20年のスピーカー技術は長足の進歩を遂げ、今さら前世紀のスピーカーでもあるまいという話も聞く。否定できない事実であろう。
しかしながら、自宅でディットン15を聴き、この音に不満があるのかと、自問自答をこころみると、しばらく考え込まざるを得ない。
スピーカーの寿命はどう考えたらよいのだろう。音が出なくなるまでとの説はわかる。経年変化による音質劣化もあるだろう。またそのスピーカーが嫌になった時という説もあるそうだが、これはあまりにも主観的にすぎ、同意は出来ない。
問題のディットン15だが、2-3週間聴くうちに、気になる点も出てきた。
すなわちCDを選ぶのだ。かけるCDにより良く鳴ったりそうでなかったりする、その振幅が大きい。また当初の能力なのか、経年変化によるものか不明だが、能力の限界を感じる時もある。
私も今世紀になって開発製造されたスピーカーを聴いてみたい気持ちはあるが、果たしてその音をきちんと聴き分けられるどうか。いずれにしても、些事にこだわらぬおおらかなオーディオでありたいものだ。
若いころはクラシックなら何でも聴いた。ブラームスとマーラーはよく聴いた。ところが40代半ばから、バッハを聴くようになった。ここ10数年は、毎日バッハを聴くし、バッハを聴かないと1日が終わらないのだ。
以前はバッハなら何でも聴いたのだが、ここ数年は無伴奏チェロ組曲、平均律、フーガの技法、その他オルガン曲を集中的に聴くようになった。無伴奏チェロ組曲は西洋音楽の最高傑作と思う。
気にいった演奏(CD)もいくつかある。
無伴奏チェロ組曲はピエール フルニエ、オルガン曲はピーター ハーフォードとヘルムート ヴァルヒャで決まりなのだが、平均律とフーガの技法はグールド、シフ、ソコロフ他も聴いている。
何故バッハが好きなのかと聞かれると返事に困るが、バッハは他の音楽家と違って、何回聞いても退屈しないのだ。私はバッハの音楽が好きなのであって、バッハその人の人物、生涯とか伝記等には関心はない。
こういう聴き方をする人間は少ないに違いない。しかしこれが私の音楽の楽しみ方なのだ。
音楽そのものと作曲家や演奏家の人物を混同すると、佐村河内事件のようなことになるのだろう。