今思うこと

AAFC 連続エッセイ
投稿日
2014/11/02
執筆担当
渡辺 肇幸
 

 

1 スピーカーは生き物

広義のオーディオにつきあってから、長い年月がたった。しかしながら、オーディオのことが分かっていないのだ。
自分の好みの音はどういう音なのかきちんと説明できるかどうかあやふやだし、オーディオ機器の個性など、まったく聴き分けていないと思う。
特にわけがわからないのがスピーカーで、これは機械ではなく生き物ではないかと思う時がある。

2 スピーカーの寿命

私は普段タンノイアーデンを使っているが、先日ふと思い出し、テーブルの足に使っている、43年前に購入した、セレッションディットン15を聴いてみた。当初ぎこちない鳴り方だったが、2-3日たつときちんと鳴りだした。その後引続き使っている。
物理性能はアーデンが上なのだろうが、音の性格はこちらが好きなのだ。南シナ海、太平洋を往復し、満身創痍でツキ板もはがれかけているジャンク品だが、その音が悪くないのだ。なんとなく品位のある音に聞こえ、捨てがたい味がある。

一方ここ10-20年のスピーカー技術は長足の進歩を遂げ、今さら前世紀のスピーカーでもあるまいという話も聞く。否定できない事実であろう。
しかしながら、自宅でディットン15を聴き、この音に不満があるのかと、自問自答をこころみると、しばらく考え込まざるを得ない。
スピーカーの寿命はどう考えたらよいのだろう。音が出なくなるまでとの説はわかる。経年変化による音質劣化もあるだろう。またそのスピーカーが嫌になった時という説もあるそうだが、これはあまりにも主観的にすぎ、同意は出来ない。

問題のディットン15だが、2-3週間聴くうちに、気になる点も出てきた。
すなわちCDを選ぶのだ。かけるCDにより良く鳴ったりそうでなかったりする、その振幅が大きい。また当初の能力なのか、経年変化によるものか不明だが、能力の限界を感じる時もある。

私も今世紀になって開発製造されたスピーカーを聴いてみたい気持ちはあるが、果たしてその音をきちんと聴き分けられるどうか。いずれにしても、些事にこだわらぬおおらかなオーディオでありたいものだ。

3 毎日バッハを聴く

若いころはクラシックなら何でも聴いた。ブラームスとマーラーはよく聴いた。ところが40代半ばから、バッハを聴くようになった。ここ10数年は、毎日バッハを聴くし、バッハを聴かないと1日が終わらないのだ。
以前はバッハなら何でも聴いたのだが、ここ数年は無伴奏チェロ組曲、平均律、フーガの技法、その他オルガン曲を集中的に聴くようになった。無伴奏チェロ組曲は西洋音楽の最高傑作と思う。

気にいった演奏(CD)もいくつかある。
無伴奏チェロ組曲はピエール フルニエ、オルガン曲はピーター ハーフォードとヘルムート ヴァルヒャで決まりなのだが、平均律とフーガの技法はグールド、シフ、ソコロフ他も聴いている。
何故バッハが好きなのかと聞かれると返事に困るが、バッハは他の音楽家と違って、何回聞いても退屈しないのだ。私はバッハの音楽が好きなのであって、バッハその人の人物、生涯とか伝記等には関心はない。
こういう聴き方をする人間は少ないに違いない。しかしこれが私の音楽の楽しみ方なのだ。
音楽そのものと作曲家や演奏家の人物を混同すると、佐村河内事件のようなことになるのだろう。

次回は堀端俊雄さんにお願いします。

以上          

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