今思うこと

♪ ニュー・イヤー・コンサートとシュトラウスの音楽 ♪

AAFC 連続エッセイ
投稿日

2014/01/30

執筆担当
倉田 勲
 

 

 我が家(といっても高齢者のささやかな二人住まい)での音楽絡みの一年は毎年一月のニュー・イヤー・コンサートから始まる。
 毎年その年のニュー・イヤー・コンサートが終わったらその場で次の年のコンサートの予約申し込みを済ませてから会場を後にするのが慣わしとなっている。

 会場は佐倉市の「佐倉市民音楽ホール」である。
 この会場は収容人員は667席ほどの小ホールである。 この会場でのコンサートには毎年ウィーンから来日するメンバー数は25名前後の小さな楽団で「ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団」「ウィーン・ヨハン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ」「ウィーン・オペラ舞踏会管弦楽団」その他で毎年入れ替わりに違った楽団が出演している。

 楽団によってはオペレッタの抜粋曲などでは歌手による歌があったり、また曲によっては男女6名ほどのバレリーナによる踊りが、そしてポルカの曲ではおもちゃのラッパを吹いたり本物の金床を叩いたりなどのパフォーマンスがあったりと、ウィーンの音楽を聴いて観て楽しい一時を過ごすことが出来るのである。 
 来年は「ウィーン・サロン・オーケストラ」が予定されているが、これまで聴いたことのない楽団なので楽しみにしている。

 ところで会場がなぜ佐倉なのか? それには次に述べるような「人との出会い」が絡んでいる。
 50歳から出向することとなった会社の職場環境は、それまでと違ってほとんど残業のない部署であったが、それから5年後の55歳で勤務先を退職し、出向先の正社員になったのを機に長期休暇も取りやすい状況もあって、若い頃からの長年の夢であった海外旅行(ヨーロッパ)へ行ってみたいとの望みがやっと叶い、1991年に初めての海外旅行へ出掛けたのだが、その旅先で知り合ったのが八千代市にお住まいの音楽愛好家の方(仕事は全く違う年齢上での先輩)との出会いである。 

 ロンドンで出会った後、ウィーンに移動してウィーン・コンツェルトハウスでのコンサート(これはツアー組み込みのもの)また夕食後ホテルの近くのシュテファン寺院のオルガン・コンサートに誘ってもらい一緒に聴いたり、フリータイム時には辻馬車に乗ったり、 また市内の観光ポイントを市電や徒歩で巡るなど急速に親しくなって、それ以来家族同士でのおつきあいが始まり翌年の1992年にニュー・イヤー・コンサートに誘って頂いたあと、毎年この佐倉の会場で「ニュー・イヤー・コンサート」を一緒に聴きに行くのが新年の行事の一つとなっているのである。
 そしていつの間にか今年で早23年目のコンサートとなってしまっているのです。

 話は変わるが、私が二十歳過ぎの五十数年前(はっきりとした年齢の記憶がない)からウィンナ・ワルツが好きで良くレコードで聴いていたが、現在でも手元に残っているレコードのなかにクレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンビによるものが5枚あって、その中に1954年の「ニュー・イヤー・コンサート」(曲目は「美しく青きドナウ」「休暇旅行で」「わが家の団らん」「天体の音楽」「アンネン・ポルカ」「おしゃべりさん」「ラデッキー行進曲」の7曲)がある。

 ニュー・イヤー・コンサートはクレメンス・クラウスによって1939に創設されたと言われているが、1954年5月にメキシコで演奏中に心臓麻痺により客死してしまっている。従ってクレメンス・クラウスの事を知ったのは残念ながら亡くなった後だということになる。「青きドナウ」「ウィーンの森」「天体の音楽」「春の声」などのワルツの他ポルカの曲も好きで(ポルカだけ入ったレコードが2枚ある)何時も聴いていたのはクラウス指揮のシュトラウス一家の曲の入ったレコードでした。

 前記5枚のなかにワルツ「ウィーンの森の物語」の曲が入ったものが1枚だけあるが、この曲が演奏される機会はどういう訳か少ないけれども好きな曲で、曲のはじめの方の部分と最後の部分の2カ所にチターのソロ(アントン・カラスのチター演奏)の部分があり、そのチターの音色が何ともいえない趣向を添えているのである。クラウスの演奏そのものはどちらかといえばゆったりとしたテンポで気品が有り、そしてまた力強さもあり曲の繰り返し部分を省略することなく演奏しているため演奏時間が長く、青きドナウが10分ほど、ウィーンの森は11分を優に越えている。

 アントン・カラスはご承知のように映画「第三の男」のハリー・ライムのテーマ曲の作曲者である。ウィーン・フィル/クラウスの演奏とは別にアントン・カラスのチター演奏によるレコードが2枚あるが、その内の1枚には「ウィーンのアントン・カラス」というタイトルのウィンナ・ワルツやポルカなどの曲が入ったものと、もう1枚の「第三の男」には第三の男のテーマをはじめウィーンに因んだ曲などが数曲納められているが、ウィーンとチターで思い出すのは1991年の旅行時にウィーンの森のレストランでチターの生演奏を聞きながら食事をしたことが、今でも懐かしい思い出として残っている。

 近年では本場でのウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの様子は、テレビでも毎年放映されており楽しみに見ておられる方も多いと思いますが、演奏風景だけでなく街中の様子やいろいろな風物を映像により案内されたり、今まで聴いたことのない曲も結構沢山あって、それはそれで楽しめるし興味はつきないけれども、シュトラウス一家の音楽は何時聴いても飽きる事なく楽しめて最高だと思っています。

以上   

次回は分科会でもご活躍中の霜鳥 様にお願い致します。

 

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