今思うこと

「 壁 」

AAFC 連続エッセイ
投稿日

2014/06/07

執筆担当
山本 一成
 

 

 「今思う事」でもなく、私が過去から現在に至る迄連綿と、無意識の中にも意識していた事柄に「壁の存在」があります。
私のここで言う「壁」とは目に見えない、比喩的な「壁」で、所謂、「受験の壁」「男女の壁」「夫婦の壁」「世代の壁」「記録の壁」「心の壁」「言葉の壁」のような類の立ちはだかる「障壁」です。
年代に応じて大小様々な「壁」が私の前に立ちはだかっていたものです。「壁」を意識すると、暗に不可能かもしれないとは思いながらも、「何とか乗り越えたい」「ぶち壊したい」と、――特に若い頃は意欲もありましたから―― そのように行動をとるわけです。ところが思いの外、強固な壁だったりして、

結果、無残にも「壁に当たって砕ける」わけです。その時の焦燥感、落ち込み様は半端ではないのですが、人には見せられませんから何もなかったように振舞う事になります。内心は自分の努力の足りなさを痛感し後悔するのです。
「壁を乗り越えて」大きな達成感、昂揚感を感じたことが記憶にないのは恥ずかしく残念なことです。

アンサイクロペディア(ウィキペディアではありません。)には「壁」とは、「我々人類が築きながら、乗り越えていかなければならないもの。もしくは壊し、突破していかなければならないもの。」とあります。
この場合「見える壁」と「見えない壁」の両方を示唆しているのかもしれませんが、いずれにしろ「いかなければならない」のですから心情的にもチャレンジしない訳に行きません。突破しないと先が見えないのですから・・・厄介な存在です。苦労して突破してもすぐに次の壁が見えたりもします。

一般的には「壁」の一番の機能は「遮断」です。外部あるいは敵からの遮断、自然の猛威からの遮断、音、光、火災からの遮断などがあります。遮断されることにより人間は保護され命を守ることが出来ますから、このような目に見える「壁」は何も壊し突破しなくても良いのです。人間にとって有益なのですから。

世界の戦争の歴史の中では、民族、都市を外敵から守るため「人工の壁」を築き上げてきました。代表的なのは「万里の長城」、「ハドリアヌスの長城」、日本の城にも「城壁」があります。宗教的には「嘆きの壁」などもありますし、政治的には「ベルリンの壁」、最近の「パレスチナ分離壁」など悩ましい、これこそ打ち破ってほしい「壁」です。

良いも悪いも、人間には「壁」を作りたがる習性があるように思います。現在でも世界中この習性はいたる所に見られより良く進化しているとは思えません。

前置きが長かったのですが、
オーディオに関しても若い頃から「壁」を意識して葛藤を繰り返してきました。
この場合は見える「壁」ですが、最初は、装置の組み合わせ、相性が悪いのではとオーディオマニア風を吹かしてスピーカーを始め装置を取り換えることに現を抜かしておりました。

今思えば大変な散財や回り道をしたものです。これは「何か方向が違うのでは?」スピーカーを始め装置を生かし切れていないのではと漠然とした気持ちをもつようになりました。同時に部屋の重要性を感じ始めていたように思います。
そんなある日、オーディオ雑誌にオーディオ評論家の菅野沖彦さんが、自分のオーディオルームで「壁を感じる」と書いておられました。はたと私にも思い当たる節がありました。
当時は、床も壁も、天井も安普請でしたから部屋中が振動して反射音のエネルギーが充満して暑苦しく、音が抜けない、正に壁を意識する状態だったのです。

でも当時は部屋を改修する事など考えも及びませんでした。

音がコンサートホールの様に抜けて広がって行き、且つ実在感が欲しい。これが私の目標とする良い音です。そこで今思えばバカなことをしたと反省ですが、
極端にも吸音材を壁中に張り廻らしました。

結果、当然と言えば当然、貧弱な細身の音になってしまいました。
音のエッセンスまで吸い取られてしまったわけで、大失敗! 江川三郎さん(オーディオ評論家?)が雪の平原でスピーカー鳴らした実験を思い出します。
同じような結果だったと記憶しておりますが、結局スピーカーからの直接音だけ聴くことになり、その音もすぐに吸い込まれてしまったようです。

良い音で聴くには「壁」が必要で、その反射音と直接音との微妙なバランスでの混在が良い音につながるのだと気が付いたのです。

ここから凡そオーディオルームと言うには貧弱な我が部屋でのルームチューニング作戦が始まったのです。
当時、日本ではルームチューニング材と言えば吸音素材が一般的でしたが、同じ時期に米国から輸入されていた拡散材の効用に着目しました。米国品に似せて自作したりもしました。
その導入により反射音に対して吸音と拡散のバランスを整えることが重要と理解できました。つまり吸音材と拡散材の数とその適正配置を探り出す作業を根気よく続けることです。

(話がそれますが、イギリスのニンバス・レーベルのサンプルCDに挿入されているライナーノートには、すべての曲毎に演奏ホールの「壁」の構造、材質までが図解と共に詳細に解説があります。演奏会場によりそのホールトーンの違いを感じることが出来ます。)

CDにもホールトーンが入っておりますが、一般的には微小な音なので聴取位置まで届かず消えてしまいます。特に広い家では尚更ですし、日本の家屋はデッドですから吸音されてしまいがちです。
音量を相当量上げれば良いのですが余程音のバランスが取れていないとうるさくて聴けないうえに、周りにも影響を与えます。

部屋は広くても、スピーカーの直前に行って聴く、つまりニアフィールドで聴くようなおかしな事になる訳です。拡散材の効果がここにあります。

 このような理解をして「吸音と拡散の適正配置」の試行錯誤を繰り返し積み重ねて、何とか音楽がやっと楽しめるレベルに来ているかなと自己満足しております。

最近では体力も根気もなくなり、レベルアップよりも所蔵しているソフトを楽しむ段階に来ているのだと自分に言い聞かせている今日この頃です。

所詮、「完璧」などはあり得ないのですから。 

 

次は鳥居さんにバトンタッチをいたします。

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