今思うこと

AAFC 連続エッセイ
投稿日

2014/08/30

執筆担当

濱口 英雄

 

 

 *マエストロ達との出会い

  今から11年前の2004年5月、ウィーン国立歌劇場でのオペラ観賞をメインテーマにした、中欧4ヶ国を巡るツアーに参加した時のことである。
  ウィーンに着いて空港で手荷物を受取ろうとしていたら、隣に並んでいたのが、何と小澤征爾さん、早速家内がサインを求めたら気軽にサインをしてくれたが、挨拶を交わす間もなく荷物と共に迎えに来た人達に囲まれ、その場から去って行ってしまった。(その後、ウィーン滞在中、市中で再び出会うことに…。)

  さて、メインのオペラ。当日の出し物はC.ティーレマン指揮での、ヴァーグナーの“トリスタンとイソルデ”であったが、指定のボックス席に座っていると、隣のボックス席に東洋人らしい小学生位の女の子と、その父親と思しき男性がいた。家内が女の子に話しかけてみて日本人とわかったのだが、その時は父親と会釈を交わした程度であった。

  休憩時間にロビーで、改めて自己紹介したところ、相手はウィーンに留学中の十束尚宏氏(指揮者、作曲家)とお嬢さんであることがわかった。
  その際、C.ティーレマンは指揮に関しては、非常に厳しい人であり、先日も練習中の演奏が気に入らないとして、さっさとベルリンに帰ってしまったこと等、気さくにいろいろと話をしてくれた。

  演奏が終わって話を交わしていたら、今からマエストロ(ティーレマン)に挨拶のため楽屋に行くので失礼するとしながら、今日の演奏は素晴らしかったが、何だか“乾いた音”であったと。更にウィーン滞在中に何かあったら連絡をと、自宅の電話番号まで教えて頂いた。(帰国に際し、電話で日本に帰られたら是非再会したい旨、挨拶したものの残念ながら未だ実現していない。)

*音楽を楽しむことの経年変化

  マエストロ十束尚宏氏の“乾いた音”(反対語は“湿った音”か?)の判別がつかない程度の聴覚しか持たない自分ながら、つい最近まで少しでも良い音をと、いろいろとハード面でレヴェルアップを図ってきたつもりだが、最近になりハードもさることながら、肝心の聴覚自体が経年変化で劣化していることに気が付いた。(遅まきながら。)

  更に最近では、AAFCの例会当番を勘違いする等、遂に自分も認知症の症候が出始めたのではないかと、そちらの方でも危惧している状況にある。
  そこで、最近注目しだしたのが、いわゆる音楽療法(music therapy)という分野である。

  因みにAAFCの幹事長である山本さんのお宅に、“喜怒哀楽亭”と称する立派なリスニング・ルームが存在するが、命名者の山本さんの意識のうちに、この音楽療法という概念があったのではないかと思っている。
  では、いったいこの音楽療法とは、どのような原理により成り立っているのか、またどの程度の効果が期待できるのか、大雑把ながら調べてみたところ、次のようなことが判明した。

  まず原理からいえば、音楽には“喜怒哀楽”といった情動を促進する働きがあるということ。つまり音楽のもつリズム(繰り返しの)は心臓の鼓動に対応し、メロディーは血圧の調整(高低)に対応した形で、全体として人体の活動を積極的に促進する働きがあるということに、その原理を置いているものだ。

  一方、“療法”といえども、病気や障害そのものを治療することはできないが、その効果は

①病気の進行を遅らせる。(認知症を含めてと理解しているが…。)
②行動のモチヴェーション・アップが図れる。
③痛みの緩和、ストレス解消

 等々の面でその有効性が認められている。

 そのため、最近では音楽療法士といった資格ができたり、幾つかの大学では音楽療法に関する講座が開設されたりしているという。

 このように考えてくると、今後の自分の音楽に向き合う姿勢を、今までの音質の追及や演奏方法の良否(勿論、良い音質、演奏であるに越したことはないが…。)に力点を置いた姿勢からtherapyという側面に軸足をおいて、音楽を楽しんで聴き続けたいと思っている今日この頃である。

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