2017年3月10日

オーディオ ラジオ 駄話し シリーズ

その第87話

あるオジイサンのお話

 自作の鉱石ラジオから始まって、長年の間に家中の隙間に電子部品が積まれ、中には何年もダンボールに入りっぱなしで中身が解からなくなっている箱が積まれている。部屋と部屋をつなぐ廊下も半分機能を失い、ちょうど肩幅だけの通路でつながっている道楽のきわみ的な電気の趣味にすっぽり、はまっちまった おじさまのおうちを何軒か知っている。

 この手のおじさまのお宅には、今では秋葉原には転がっていない部品も死蔵されており、本人は部品があり過ぎて忘れているが出入りの同好の志はよく記憶していて、あの家はこんな物を持っている、あんな物もあったな、なーんてよく記憶しているもので、外部メモリーのほうが、よっぽど、ヨーク よーく 記憶されているのが常である。

 秋葉原を当てにして自作のものを作ろうとすると、とっくに廃品種になっており、手に入らなくなる。得てして、この手の部品ほど、回路の中に採用すると良い音がするもので、なかなか最近の部品は材料の絡みか実装してみて、使用すると、どうもチャラっぽい音がするのは気のせいか? 単なるジジイの耳の劣化だと言う話が裏でこそこそと聞こえる。

 機構部品も強いアメリカの時代の真空管のコネクターなんて、とっても気持ちよくガラス球のアンヨが収まってくれるのは、最近のいずこの国の製品より安心感が伴う。かといって有名な強い国だった部品の最近の製品は、形だけで外見の色がそのままで音的には昔の部品を使ったほうが結果として耳障りのいい音とジジには聞こえる。
 トグルスイッチは好みもあるんだろうが、USAのシ社の部品が今でもカチンと動かした時に実に気分がよろしい。ところが無いのである。無いものねだりの年寄りのわがまま?となる。

 この手の部品は長年好きでやっている同好のおじさんのJUNK箱にお願いするのが近道と会いなるが、困ってしまうのがラジオのバリコンの軸の径とボリュームの径がUSAの場合インチの国なので日本の太さより少し太いのが こまったちゃん なのであるが秋葉原も外国ギターAMPの影響でこの手の寸法のつまみも手に入りだしている。

 日本の部品も真空管相手の物が、なかなか電圧の高いものが無いので路頭に迷うこととなる。趣味で使う部品はマスプロの数量に乗らないのでみんな廃品種となってしまう。これらの部品で遊んでいるジジイも超廃品種の希少種の部類に入っているが、レッドリストのトップに記入されるの知らず、半田の煙でゴホゴホと咳をしながら三途の川を渡る寸前で、今日も今日とて、震える手でヒネヒネと半田付けしているが、別名シーラカンスとも表現するが本人は知らない。

88話につづく