物を創作すると言うことは基本的にひらめきとそれに伴ったテクニックが必要となるのがあると思う。ところがジジイはそんな物は、はなっから持ち合わせていないのが事実である。好きこそ物の上手なれナーんて言葉も在るが、好きでも物を作るにはセンスも要求される。美術的な素養も無いのに要求されるのである。
一歩引いて、好きです、すきでーす、とっても好きでーす。ナーンテ言って見た所で、創作物がうまく出来るわけではないのが現実で、今を思えば、鉱石ラジオを「間違って」作ってしまったのが大間違いの人生を歩むこととなる。この場合創作ではなく「製作」なのでインスピレーションは存在しない。画して手に入る軍資金は ほとんどすべて電子部品に化けることとなる。
手に入るその手の製作記事はむさぼり読み、じゃー作ろうかとなるが、お金なんてアリャせん。ここでJunkや、つまり街中の廃品回収業のおじさんと仲良くなって、ニッパ片手に部品取りにいそしむこととなる。雨ざらしのブラウン管TVのお腹の中身は宝石箱の塊と表現する少年で毎日を過ごし月日は経ってしまう。
半田は1リールなんてひっくり返っても買えない。近場のデンキ屋さんに少し分けて下さいとなるが向こうもウーン言いながら値段もつけられないので唸りながら売ってくれる。
何とか様になるものが出来るまで膨大な時間が経過し、それなりのラジオ少年が出来上がる。人生誤り少年イッチョ上がりーーお後がよろしいようで、となる。悪魔のささやきはこの少年は何時聞いたんだか解からない。時間だけは老いに向かって一直線経過していく。
この悪魔の囁きによって ”少年学なりがたし光陰矢のごとし” 気が付くとJUNKの山の中に埋もれたジジイがこの世に存在する。社会に出て給料を貰うようになると今までと異なり軍資金の豊富なことから、堰を切ったようにこの道にまい進することとなり、今まで買えなかった高価な製品、パーツ類に取り囲まれることとあいなる。
デジタルの世界では誤りのデータだとソフトで修正されるようにプログラムが作れるがそんな洒落た事はマニア化してしまった脳味噌は偏見と薮睨み化し、修正の二文字は在りえなくなる。電気製造会社に就職しようものなら、この世の春?とはならないで納期に追われる地獄となる。現実が飛んでくる怖さを味わうこととなる。
これらの末路はレクイエムの季節になって解かること、間違っていたかナー???。
そばで猫が大あくびをしている、にゃー こっちがとってもいい人生かも?
私は猫である。いつも変な音を聞かされている猫である。いい加減になんとかニャらんのかなー? とっても迷惑ニャー・・・。
91話につづく