パリ音楽紀行(その1)
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2007年6月12日
赤田 勝彦


パリはなんとも魅力的な街だ。

大都会だが、劇場、美術館等は中心部に近接して立地しておりごく短時間で容易に往来が出来る。パリに魅せられ毎年5月になると音楽シーズン終了間近ではあるが、パリに数週間滞在し昼間は美術館巡りや街歩き、夜は演奏会に足を運ぶ日々を送るのを楽しみにしている。
5 月のパリは初夏で木々の緑が眩しく公園には花咲き乱れまことに麗しい季節で夜の 9 時過ぎでもまだ明るく終演後、劇場近くのカフェテラスで夜風を頬に受け、友人達とコンサートのことを語り合いながら杯を傾けるのも至福の一つ。

2007 年も 5 月中旬から2週間ほど滞在し大小あわせ11のコンサートに通った。コンサートホールや演奏会のこと等記してみよう。パリのクラシック音楽専門コンサートホール御三家といえばサル・プレイエル、サル・ガヴォー、シャンゼリセ劇場だ。

 

まずは、

* サル・プレイエル( Salle Pleyel )

パリ管の本拠地でパリ随一の由緒ある名門クラシック音楽専門ホール今回楽しみの一つは2006年9月に新装再開したこのホールだ。

オーストリアの作曲家プレイエル( Ignaz Pleyel )が1795年パリに移住し1807年に有名なプレイエルピアノ工場を設立し、息子のカミーユ( Camille )が1838年550席ほどのコンサートホールを設けた。このホールでショパン( Chopin ) , ドビュシイ( Debussy ) , サン・サーンス (Saint-Saens) 等錚錚たる名人が演奏会を開いた。因みにショパンの最後の演奏会はこのホールで1848年だった。
この小ホールが前身となり1927年に凱旋門近くの現在地に3000席のオーケストラコンサートが完成。ただ見栄えはよいが音響的にはあまり評判はよくなかった。
その後紆余曲折あり21世紀になり約5年間閉館し大改修を行い2006年9月に再開。
一階の大ホールは、創設当時の面影を再現した見事なアールデコ調。客席は1900席に減らしゆったりし快適でどの位置からも舞台がよく見える。音響効果も大幅に改善されよい響きだ。

さてコンサートは5月24日だったが、サプライズがあった。
パリ管と40年にわたる関係深かった先日80歳で没した巨匠ロストロポーヴィチを追悼する特別コンサートが急遽企画され本番に先立ち午後6時から開催された。これがなんと先着順で無料だ。運良く前方の良い席を得た。

追悼曲は故人縁の、

ショスタコーヴィチ( Shostakovich )のチェロ協奏曲#1:これは作曲者からマエストロへ献呈された曲 . 。独奏は Tatjana Vassilieva

デュティユー ( Dutilleux )のチェロ協奏曲 「遥かなる遠い国へ」 Tout un monde lointain

 マエストロがパリ管と1970年に初演した曲。独奏は Xavier Phillips
どちらもチェロ独奏は彼の弟子筋の若いチェリストだが師を思っての大変熱い演奏で心温まるコンサートであった。
おまけに会場に91歳のアンリ・デュティユー (Henri Dutilleux ) もあらわれ聴衆の大喝采に応えていたのが印象的だった。

さて夜の本番プログラムは

冒頭にパリ管総監督の追悼スピーチのあとヴィラ=ロボス( Villa-Lobos )のソプラノ独唱と 8 台のチェロのためのブラジル風バッハ第 5 番が演奏され
前半はモーツアルトのピアノ協奏曲No.17
   独奏はフランス人若手の Jonathan Gilad
   けれんみの無い清新な演奏。
後半は大曲ショスタコーヴィチの交響曲第 13 番「バビ・ヤール」
   バス独唱はロシアの Sergey Leiferkus, 男声コーラスはパリ管合唱団
交響曲第 13 番はエフゲニー・エフトゥシェンコの詩によるバス独唱とバス合唱付きの 5 つの歌曲からなり、その 1 曲目の「バビ・ヤール」から通称が取られている。
重い主題の長大な曲でそう手軽には聴けないが胸にずしりとくる佳演であった。

この日は4時間に及ぶコンサートだったが、心地よい疲れでホールをあとにした。

CheloSonata86