《その1》 これは色んな分野に共通すると思いますが、音楽に限っても 今日では一般の新聞をはじめその分野の雑誌、カタログ、広告、チラシ等々によりコンサート(ライブ)や映像(ビデオなど)音声(テープ・CDその他)などの膨大な情報に接することが出来ます。
昭和30年代前半頃には今日のように多くのものに接する事は不可能で、 私などは若い頃は地方に住んでいた事もあり音楽をナマで聞く機会などほとんどなく、 ましてや海外から日本にやってきたアーティストのコンサートを聞く事などは皆無に等しい状況で、1960年に他県まで日帰りでボストン交響楽団の演奏会に出かけたこと位で、 音楽(主にクラシック)を聞くとしたら大方が「労音」などの会員になり限られた回数のコンサートに行く以外は、ラジオで聞くのが当たり前で有り家庭でレコードで聞く事が出来る人などほんのわずかな人に限られていました。
《その2》 昭和30年後半になりハイファイなるものが盛んになって来ましたが、ステレオ再生が普通になったのも後半になってからであり、それまでは、今にして思えば再生装置そのものが現在のように立派なものはなくラジオやレコードの音もかなり貧弱なものであったけれども、デパートの電蓄売り場などで感激しながら聞いていたものでした。
そして限られた予算でより良い音に接したいという思いに駆られ、ラジオやアンプとかプレイヤーの製作記事のある雑誌などを買い求め、それらを参考にして限られた小遣いを節約したいと部品などの購入に当て( 後で考えれば逆に高いものに付いていましたが )組み立ててうまく音が出ればそれで音楽を聴いて喜んでいました。
《その3》 レコードを入手するに当たっては、それらが収入に比べて高価であったこと
もあり、どうしても欲しいものを購入するためには “より良い演奏のレコード”“間違いのないレコード”を手に入れようと、 先ず音楽関係の雑誌やカタログなどを見て、出来るだけ多くの人の評価がどんなものかを参考にして購入したものでした。
仮にその曲のレコードが数種類(当時は現在ほど多くなかった)あったとしても、それらを全部購入して聞き比べることなど 経済的にも不可能で、 聞きたい曲の一枚を購入する為にはどうしてもそういうものに頼らざるを得なかったことも仕方なく、それに一人だけでなく複数の人が良い評価をしたものであれば 先ず間違いないだろうと判断して決定し、安心出来たことも確かであったことは否定できません。
《その4》 今から30年程前になりますが、東京近郊に住むようになってからは、時代も変わり演奏家も数え切れないほど 日本公演のために来日し、また職場の勤務環境の変化で平日の夜の公演でも十分に間に合うようになってからは、良い席を確保する為に、いくつものホールや音楽事務所のメンバーになり早期にコンサートの情報を入手してチケットを購入、仕事の事は忘れてナマの音楽演奏に数多く接することが出来るようになり、指揮者や演奏者の身振り手振り、表情を見ながら音楽を聴く機会が増えるに従い、それに 反比例してラジオやレコードなどで聞く回数が減少して行きました。それとともに前記のようなレコード(近年ではCDなど)の購入基準が変わって来たように思います。また最初は映像付きのビデオなどでの音楽鑑賞は邪道のように感じていたのが次第にそうでなくなって来ました。
即ち演奏の善し悪しなどは以前ほど気にしなくなった事、 またどんなに録音が良いと評価されても ナマの音と再生音とは別物だと割り切って考えることが出来るようになり、目と耳で楽しみながらのビデオなどによる鑑賞にも抵抗感がなくなって来たことなどです。
少なくとも 第一線で活躍している演奏家によるものは それぞれが、その音楽の最高の演奏を目指して日頃から研鑽努力を重ねての結果、今があるのだと思いながら聞いていると それはそれで納得出来るように思えるのです。
《その5》 ホールに出かけてナマの演奏に触れ、音だけでなく 指揮者、オーケストラのメンバーや、ソリストなどの身振り手振りを目にしながら聞いていると、音だけに接しているのとは違った印象があり音楽の感じ方も違って来るように思います。
同じ音楽を聴くなら「より良い演奏」が聞きたいという願望は勿論ありますが、 どんな一流の演奏家であっても その時のコンディションにより出来不出来はあるだろうし、一概にそれが“その曲の最高の演奏か”、 “この曲の演奏はかくあるべき”などの難しい理屈は抜きに その曲を聞いて作曲家の偉大さに感心したり演奏者の姿を眺めながら楽しい気分になったりして音楽を楽しみながら聴くことが出来るようになってきました。 ・・・難しい理屈は専門家に任せよう ! いい気分で音楽を聴いている時が最高 !・・・。
《その6》 そう言いながらも新聞に掲載されている論評などを読んだりしていると感受性の無い自分には、どだい無理なのだとあきらめたり、知識の無さを反省したり・・・ いや! いい演奏か否かは《 聞き手の好みや、 感じ方に左右される 》ことの方が大きいのではないのかと自分に言い聞かせて慰めてみたりと、・・・これは絵画において どんなに高価な“名画”と言われるものであっても、自分の好みや感性にそぐわないものであれば好きになれないし、欲しいとも思わず、 いい絵だな−と感じる事もないのと同じことではないか・・・などと思ってみたり、なかなか 悩みはつきません。
“それにしても 音楽って本当にすばらしいと” と思います。
そして、 “作曲家に感謝”の気持でいっぱいになります。