その後(13年前から変わっていませんがの続き)
 
松本慎一郎

 
うんともすんとも言わなくなったアンプを前に、当方が出来ることと言ったらメール、電話で質してみることしかない。

 オーナーの山本さん、「私も詳しくありません。最初のシングル・プラグで使用して、元に戻りませんでしょうか。真空管に変化はありませんか。故障としても気にしないでください。石田さんの教えを得る方が良いかもしれません。」

 脇田さん、「多分、松本さんが結線のミスをしているんですよ。もう一度見直したら如何ですか。案外簡単なミスをしていることがありますから。カウンターポイントはいいアンプですよ。ボリュームをちょっと上げただけで大きな音が出て、使い勝手が今一つのため、見送ったのですが、それがなければ自分も入れようと思ったんですから。何とか直して聴いてみてください。」

 石田さん、「お話を聴いただけでは、ピン・プラグの差し替えしか行っていないようなので、その辺の接触不良か内部の断線かもしれません。ピン・クラブの清掃をして差し直すくらいで、あとは内部を見なければ何ともアドバイスができませんね。」

 

 もう一度アンプの裏側の接続を見てみる。間違っていない。切り替えスィッチをパチパチやってみるが無音のままである。

 どうにもお手上げである。しかし、昨日聴いた美音が耳に残っている以上何とかしなければならない。

石田さんに持って行きますので見ていただけませんかとお願いした。

 

日曜日、件のアンプを担いで馬橋の石田さんところに行った。

「何処が悪いんでしょう、まずチェックをしてみます。」と何やら精密そうな機械を石田さんは持ち出してきて調べ始めた。

「ここも問題なし、これもいいです、ここも問題ありませんね。松本さん、どこも悪くはないようですので繋いで音が出るか試してみましょう。」

結線をしてボリュームをあげると、何たることか、すんなりと音が出た。

 天気は良くて少し暑く、軽いとはいってもアンプを片手で長時間提げて来れば汗も出て来る。しかし、ここで出た汗は冷や汗であった。

 

 まあ、折角だからと治った、いや、もともと故障していなかったカウンターポイントを石田さんのシステムで鳴らして貰う。

 何だか家で聴いた印象よりボケて聴こえる。柔らかくて耳を刺激しないところは同じながら芯がないため音像が立たない。穏やかであるが平面的で緩やか過ぎる。

 石田さんのアンプで聴くとキチッと定位が出て音場が広がる。何よりも音楽に精気があり生き生きとして躍動感が出て来る。

 5,6枚聴き比べてみたが、印象は変わらない。石田さんのシステムでは勝負にならない。

 石田さんのシステムは、引き締まった低音・音像が見えるような実体感を目標とされているだけに、カウンターポイントは異分子になってしまうのである。

「こりゃ、場違いですね。家で聴いてみますよ。」

こうやってカウンターポイントの石田さんところでの試聴は終わった。

 

 石田さんところの音の印象が消えないうちにと家に帰るとすぐ結線をして、今度こそと白井光子さんをセットし、スタート・ボタンを押した。

ああ、何たることか、また音が出ない。

 また、後ろを見たりケーブルをつけたりはずしたりしたが、やはり駄目。音は出ない。

 1時間半前は、このカウンターポイント、異分子と言われて居心地が悪かったかもしれないが、とにかく石田さんのシステムで音は出ていたのである。余程、我が家が嫌いらしい。

またまた石田さんに、メールする羽目になった。

「また、駄目なんです、音が出ません。」

「カウンターポイントは、そちらでは鬼門なんですかね。お困りのようですからお祓いに行きますよ。」とのことで翌日曜日に来てもらうことになった。

 

 また元の鞘におさまっていたサイテイションのプリを外し、どれどれとドクター石田がおもむろにカウンターポイントを繋ぎ、CDプレイヤーのスタート・ボタンを押した。

やはり音は出ない。

 ドクターが見ても駄目であれば、当方の無知からのものではなかったんだと何だか安心したような変な気分になったが、とは言うものの本当に壊れたのかと心配になった。

「おかしいな、何処なんだろう。」とドクターがいろいろ触りまくっていたら、突然音が出た。

入力切替スイッチの接触不良でした。

 CD,TAPEでは音が出たり止まったりする。VIDEOに接続すると正常に音が出て来る。スイッチが緩んで接触が悪くなっていたのが原因である。

 

ようやく落ち着いて試聴できる状態になった。

早速、声から聴き始める。

 甘い。蕩けるように甘い。甘すぎる。借りてきた初日に聴いた美音の感覚と一致しない。石田さんところの引き締まった辛口の鳴りっぷりを聴いた感覚が残っているせいなのか、音に芯がなく柔らかい。音場の広がりも今一つである。フランス歌曲を聴くには良いかもしれないが、柔らかすぎる感じである。生き生きとしたところの出方が弱いように思える。

あと数枚聴いて見たが、石田さんところで聴いた印象と大して変わりがない。

「後で、もう一度聴いて見ますので、取敢えず元のサイテイションに戻しましょう。このカウンターポイント、鳴ってくれるまであまりにいろいろあって、こちらの精神状態が正常でないのかもしれませんから」

 

 アンプの試聴は難しい。アンプが変わるのではなく聴き手の感覚・感性が変わるのである。

 体調でも変わるし、環境でも変わる。昼間明るいなかで聴くのと深夜皆寝静まってから聴くのとでは全然印象が違ってくる。石田さんところの目の前のそこで鳴っているような実体感のある音を聴いた耳では、柔らかい音の良さが聴き取り難くなっていた様にも思える。聴くCDによってもその良し悪しの感覚は振れる。

 聴き手としての修養が足りないな、もっといろいろと聴く機会を増やし感性を磨かなくてはと思ったものである。

 

 トリオがまだ春日無線と言っていた時代の真空管のトライアンプを使っていたことがあるが、その頃はまだトランジスタアンプはなかった。従って、本格的な真空管アンプを聴いたのは初体験であったといえる。

 印象は良かった。やはり独特の音の滑らかさ、柔らかさがあるなと思った。当たり前ではないか、今更何を言うかと言われそうだが、世情言われていることを確認した次第である。

 

 オーナーの山本さんには、お借りしたままで試聴の中間報告を怠ってしまった。

 申し訳ありません、大変失礼いたしました。ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

 石田さんには、大変ご面倒を見ていただいた。石田さんに見てもらわなかったら音は出なかったのである。ありがとうございました。

 いや、これは間違い。面倒を見ていただいたという過去形ではない。この後もまだお手数をお掛けし、以下のように面倒を見続けていただいたのである。

 

 この日、カウンターポイントの試聴が一段落したところで、石田さんに尋ねてみた。

「石田さん、お願いしてあったプリ・アンプ、今日、まだ着いていませんが。」

 石田さんところの見通しの良い音場とリアリテイのある音を聴いて、一度このお使いのプリを家でお聴かせいただけないかとお願いしていたのである。

 カウンターポイントは、音は出なかったが、ものがなくなることはなかった。しかし、今度のサトリ・アンプは音が出る以前にものがないのである。

「おかしいですね、昨日土曜日には着くように送ったのですがね。」

 

安孫子・松戸からは、我が家は余程方角が悪いようである。

この続きはまたの機会に。