ロマン派音楽とは、西欧のクラシック音楽史において 古典派と現代音楽の間に位置し、ほぼ19世紀全体をカヴァーする時期に作られた音楽。但し その定義とか具体的特徴並に古典派と現代音楽の境目をどう区切るかなど 難しい問題点も多い。
特徴としては 形式と調和を重視しながら客観的普遍性を追求した古典派に対し、ロマン派の場合 基本的には古典派を踏襲しながらも 形式をより自由に展開し その中に作曲家自身の強い個性や民族性、また主観的(ときには文学的)情念を色濃く盛り込もうとする傾向がみられる。
また その発端を何時にするかについて、例えばウィーンでは 便宜上 1815年、18歳のシューベルトがゲーテの詩「魔王」に作曲した年とし その作曲した家をロマン派発祥の地とするなど、概ね19世紀初頭をその時期としているが、この同じ年、45歳のベートーヴェンは唯一の歌劇「フィデリオ」の初演を終え、その後「交響曲第9番”合唱”」や「ミサ・ソレムネス」(何れも1824年作曲)、25年以降には後期の弦楽四重奏曲(12-16番)の傑作群を完成させている。学者によっては、ロマン派音楽の起源を更にベートーヴェンの中期まで戻すべきとか 否、18世紀末のモーツァルト最晩年に遡らせて然るべき等々 ロマン派の定義とも関連させながら未だ議論の纏まらない状態といってよい。
19世紀を単純にほぼ半ばで区切って前期ロマン派と後期ロマン派に区分する法もあるが、ここでは系統的に縦割り区分とし 今回は主に前期に属する独墺(ドイツ・オーストリア)系ロマン派を中心に聴き、次回は独墺以外(フランス、東欧、ロシア、北欧など)のロマン派(大半が後期に属するが 国民楽派という呼称も一般的)に焦点を当てることとしたい。
今回は 独墺系ロマン派を代表する下記3人の作曲家(シューベルト、シューマン、ブラームス)による名曲を何れも映像で鑑賞したい。
記
A。シューベルト「弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 ”死と乙女”」(全曲 - 40:00)
第一楽章 アレグロ :古典的ソナタ形式 (11:22)
第二楽章 アンダンテ・コン・モト: ”死と乙女”の主題と6つの変奏とコーダ (14:54)
第三楽章 スケルツォ・アレグロ・モルト : スケルツォによる三部形式 (3:36)
第四楽章 プレスト:ロンド形式 (10:08)
ハーゲン四重奏団 (1987.6.26-7.2 フォラウでの録音)
*1980年、ザルツブルグ・モーツァルテウムの首席ヴィオラ奏者、オスカー・ハーゲンの4人の子、
ルーカス(第1v)、アンジェリカ(第2v)、ヴェロニカ(va)、クレメンス(vc)により結成。
以来、数々のコンクールで優勝。そのアグレッシヴで切れ味の鋭い演奏によって世界のトップ・クラスの四重奏団とされている。
本録音は上記創立時のメンバーによるものではなく、第2ヴァイオリンがアネッテ・ビクに変わっている。
B。シューマン「ピアノ五重奏曲」変ホ長調 作品 44」(第2/第3楽章 - 12:52)
第二楽章 ウン・ポコ・ラルガメント=アジタート : 葬送行進曲風 自由なロンド (8:28)
第三楽章 スケルツォ モルト・ヴィヴァーチェ : トリオを2つもつスケルツォ (4:24)
エレーヌ・グリモー(p) ルノー・カピュソン(v) 庄司さやか(v)
ラルス・トムター(va) ミッシャ・マイスキー(vc)
(2007.7.5 ヴェルビエでの録音)
*本録音は2007年のヴェルビエ音楽祭でのライブ録音。同音楽祭は1993年以来、スイスのリゾー
ト地、ヴェルビエで開催されており、アルゲリッチ、マイスキー、ヴェンゲーロフ、キーシン、レヴァインらが常連として参加している。
C。ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ 第三番 ニ短調 作品 108」(全曲-22:46)
第一楽章 アレグロ (8:20)
第二楽章 アダージオ (5:09)
第三楽章 ウン・ポコ・プレスト・エ・コン・センティメント (2:43)
第四楽章 プレスト・アジタート (6:29)
アンネ・ゾフィー・ムター(v)ランバート・オーキス(pf) (2009.12.3&4 ポリングでの録音)
ムターは現代ドイツを代表するヴァイオリニスト。1963年生まれ。13歳のときカラヤンに招かれBPOと共演。 翌1977年 ザルツブッルグ音楽祭にデビュー。80年、アメリカ・デビューなど以降輝かしい演奏歴を誇る。レパートリーは広く、バロックから現代音楽まで扱うが、やはり当然のことながら独墺系を得意とし、中でもモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは出色。
尚 L・オーキス。1946年生まれ。アメリカのピアニスト。カーティス音楽院卒。室内楽およびピアノ伴奏分野のスペシャリスト。
PS
当初は ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 ”雨の歌” を鑑賞予定だったが、最終的には当方の手違いで上記の第3番となった。(高橋 記)
以上