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往年の女流名ヴァイオリストを聴く(7)

ジネット・ヌヴー (仏 1919~1949 30歳没)
(全3回)

その2 戦後、英HMVの アビー・ロード・スタジオ(ロンドン)での演奏を主体に(26~28歳)

2014年5月11日
分科会資料
担当 : 霜鳥 晃

 

ヌヴーへの讃辞

13歳になったヌヴーはようやくベルリンにやって来て改めて演奏を披露することになるが、それを聴いたカール・フレッシュ教授はこう感想を述べている。

 

「あなたは天から贈り物を授かって生まれてきた人だ。私はそれに手を触れてあれこれしたくはない。私に出来るのは、いくらかの純粋に技術上の助言くらいだ」

 

ヌヴーはフレッシュの指導を4年にわたって受け、1935年に15歳でワルシャワで開催されたヴィエニャフスキー国際ヴァイオリン・ コンクールに出場し、180名の競争相手を破って優勝した。
このコンテストでは、後にヴァイオリニストとして大成することになる当時26歳の D.オイストラフが2位で入賞したが、結果発表の翌日に故国で待つ妻に手紙でこう言及している。

「2位になれたことに僕は満足している。ヌヴー嬢は『悪魔のように』素晴らしいと誰もが認めるだろう。
昨日、彼女がヴィエニャフスキの協奏曲第1番を正に信じられない力強さと激しさをこめて奏いた時、僕はそう 思った。しかも彼女はまだ15歳かそこらなのだから、1位が彼女に行かなかったら、それは不公平というものだ」

ジャック・ティボーをして「ヴァイオリン界の至高の女司祭」と言わしめた。

ヘラルド・トリヴューンワールド・テレグラムなどのジャーナリズムは、「戦後米国を訪れた最大最高の芸術家!」とか「純白の聖衣をまとった崇高な尼僧!」とまで激賞している。

演奏曲目
以下、1~6まで1946年(27歳)のスタジオ録音。 ピアノ伴奏は1歳年長の兄ジャン・ヌヴー。

兄ジャンはパリ音楽院でイヴ・ナットに師事。ナットの高弟といわれ、感受性の強い詩人肌の人柄で、妹の音楽的感性の発育に多分に寄与したという。

1. ショパン 
        ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作 (ロディオロフ編)        (04:13)

2. ディニーク 
       ホラ スタッカート   (ハイフェッツ編曲)                 (04:04)

グリゴラシュ・ディニーク(Grigoraş Dinicu, 1889-1949)は、ルーマニアの作曲家、ヴァイオリニスト。
本曲が代表作。ヴィルトゥオーソ的なヴァイオリンの小品として頻繁に演奏される。
ハイフェッツはかつて、ディニークはこれまで聞いたことのある中で、最も偉大なヴァイオリニストだと評した。

3.ファリャ
       スペイン舞曲 (歌劇「はかなき人生」より)   (クライスラー編曲)   (02:24)
         
4.ラヴェル
        ツィガーヌ (仏語 ジプシーの意)                      (10:12)
             ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール優勝時の自由曲として演奏。

5.ラヴェル
        ハバネラ形式の小品                             (03:11)

6. スーク

ドボッルザークの娘婿。現ヴァイオリニストのヨーゼフ・スークの祖父。ボヘミア弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を40年間にわたって務めながら作曲活動を行う。本曲はスーク25歳のときのもの。ヴァイオリン奏者としての経験が大いに生かされている。

 四つの小曲 (ヴァイオリンとピアノのための)

1 Quasi balata  (バラード風に) Andante sostenuto   ホ短調     (04:38)
2 Appassionata (情熱的に)    Vivace   ト短調             (04:21)
3 Un poco triste (少し悲しく)   Andante espressivo  嬰ヘ短調    (03:59)
4 Burleska (おどけて)       Allegro espressivo    ニ長調     (03:02)

7. ブラームス         
       ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61

ヌヴーはこの曲を大変好み、演奏の記録として、1935年(15歳)ワルシャワでのヴィエニヤフスキー国際コンクールの帰途、ハンブルグ市主催、オイゲン・ヨッフム指揮で演奏。また1947年(28歳)ミュンシュ指揮、ニューヨーク・・フィルとの演奏会では、ホールは余りの素晴らしさに、興奮のルツボと化したという。 
残念ながらこれらの録音記録は無いが、 録音としては次の4種類を遺している。

   
指揮者
管弦楽
場所
1946 ドブローエン フィルハーモニア管弦楽団 ロンドン(アビー・ロード・スタジオ)
1948・05・03 イッセルシュテット 北ドイツ放送交響楽団 ハンブルク LIVE
1948・09・25 デゾルミエール フランス国立管弦楽団 バーデン・バーデン LIVE
1949・06・10 ドラティ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 ハーグ LIVE

ロジェ・デゾルミエール(Roger Desormiere) (仏 1898-1963)
フルート奏者から指揮者に転向。ロシア・バレエ団やオペラ・コミック座の指揮者を経て、1950年フランス
国立放送管弦楽団の首席指揮者に就任。翌1951年麻痺性の疾患により引退。・

  第1楽章 Allegro non troppo (cad.ヨアヒム)    ニ長調 3/4拍子 ソナタ形式      (22:10)
  第2楽章 Adagio                     ヘ長調 2/4拍子 複合3部形式    (09:20)
  第3楽章 Allegro giocoso, ma non troppo vivace ニ長調 2/4拍子 ロンド・ソナタ形式  (08:06)

以上