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『ピアノ音楽の楽しみ方』(1)

名曲の名演奏を聴き比べながら
ピアノ音楽の歴史を学ぼう!

2014年6月22日
分科会資料
担当 : 高橋 敏郎

 

 いつも感じることですが、ライブにはないレコード音楽最大の醍醐味は、一つの曲に対して古今東西で録音された数多(あまた)の名演奏に接しながら 聴き比べができるということではないでしょうか。

 今回の新シリーズでは、ピアノを中心とする鍵盤楽器に限定して、西洋音楽史におけるバロック期以降、古典派、ロマン派など各時期を代表する有名曲を選んで 数多くの名録音を聴き比べながら、単に個々の演奏の違いのみではなく ピアノ音楽がどのように発展してきたか、またその時代的特徴にもアプローチしてみようという試みです。

 第一回はバロック期を代表する鍵盤曲としてJ・S・バッハの「ゴルドベルグ変奏曲」を取り上げてみます。

 この曲のバッハ自身による正式な楽譜の表題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」という長たらしいものだが、一般的に「ゴルドベルグ変奏曲」と呼称されているのは、次のような有名なフォルケルによる逸話に基づく。

 1741年、バッハが世話になっているザクセン選帝侯宮廷駐在の元ロシア大使カイザーリンク伯爵は不眠に悩まされいたため、安眠用の曲の作曲をバッハに依頼、出来上がったのがこの曲で、伯爵はお抱えのハープシコード(チェンバロ)奏者ゴルドベルグに夜ごと寝室隣の控えの間でこの曲を演奏させたという。併し今ではこの逸話も、一つには楽譜初版の献呈に伯爵の名前の記載がないこと、またこの年 ゴルドベルグは14歳の少年だったことから、とてもこの難曲の演奏は難しすぎるなどの理由から、その信憑性も疑われているようである。

 全体の構成は、荘重なサラバンド風アリアと、それに続くカノンやフーガから成る30の変奏(最後にアリアの再現)からでき上がった長大な作品。当然 演奏楽器は バッハの時代に使用されていた鍵盤楽器ハープシコード(チェンバロ)ということになろう。 

 ところが、20世紀半ばになって それまでの主流ハープシコードに換えて クラウデォオ・アラウなど一部を除けば、ほとんど初めてピアノで演奏・録音し しかもこの曲の素晴らしさを世界に認めさせた大功労者こそ カナダ生まれのの若きピアニスト、グレン・グールドであった。

 今回はこのグールドの新旧録音を中心に オリジナルのハープシコードによる演奏も含めて 出来るだけ多くの演奏を聴き比べながら 同時にバロック期を代表する対位法に基づくバッハ音楽の特徴も合わせ考えてみたい。

 今回演奏を予定しているのは、下記の演奏家による録音20数種であり持参した。何れも単純に録音年代順に列記。
(但し時間の制限もありすべての全曲演奏は難しいので比較の対象としては一部の変奏に限定せざるを得ないこと、また演奏は必ずしもこの順番通りではないこと 予めご了承戴きたく)

  (以下は グールド以前の年代の奏者による演奏例)
クラウディオ・アラウ (1903-91) - 世界で初めてのピアノによる演奏録音(1942 ) 講座にて詳述したい。

ワンダ・ランドフスカ (1879-1959) (ハープシコード録音2種1933 & 1945) 20世紀前半、欧米を中心にハープシコード界をリードした中心人物。

グレン・グールド(1932-1982) (ピアノによる新旧録音 1955 & 1981))- 上記の通りだが、講座にて詳述したい。

カール・リヒター(1926-81) (ハープシコード録音1958) 大戦後の有力モダン・ハープシコード奏者による優れた演奏例。

ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-91)(ハープシコード録音1961) バッハと同じライプツイッヒ生まれ。全盲ながら生前はバッハ演奏における最高のオルガン兼ハープシコード奏者といわれた。

グスタフ・レオンハルト (1928-2012) (ハープシコード録音1965) 上記リヒターとはちょっと異なり、終始 古楽的センスで現代におけるバッハのあるべき演奏例を追求した。

マリア・ユーディナ (1899-1970) (ピアノ録音1968) - ロシア・ピアノ界の国宝的存在によるピアノ演奏例。

 (以下はグールドの影響下に演奏された優れた中堅奏者による演奏例)
アンドラーシュ・シフ (b.1953)(ピアノ録音1982) -  グールド以降、その影響下にあるバッハ弾き最右翼のひとり。

スコット・ロス (1951-89)(ハープシコード録音1985) - 38歳の若さで夭折した伝説的ハープシコーディストによる霊感溢れる演奏。

ピーター・ゼルキン (b.1947 )(ピアノ録音1986) - 本曲に限らずバッハ演奏で最もグールドの影響を受けたひとり。

キース・ジャレット (b.1945 )(ハープシコード録音1989) - 自由・闊達ななジャズ・ミュージッシャンによるバッハ。

シュ・シャオメイ (b. 1949)(ピアノ録音1990) - 上海生まれ、文化大革命を体験した中国系女流バッハ求道者。

ヴラディミール・フェルツマン(b.1952) (ピアノ録音1991) - 旧ソ連出身で反体制派の一人。その演奏には優れたテクニックのみではない何かがある。

マレイ・ペライア (b.1947) (ピアノ録音2000) - 美しい音色とテクニックだけではないホロヴィッツ唯一の愛弟子。 90年代 指の故障以降は バッハへの指向が一段と強い。

 (以下は 新進若手鍵盤奏者による演奏例)
セルゲイ・シェプキン(b.1962 ) -ロシア・サンクトペルブルグ生まれ。既に本曲を1995年と 2008年の2回録音。数度の訪日を果たしているが 何れも全く異なったスタイルで”ゴルドベルグ”を披露しているバッハのスペシャリスト。

フランチェスコ・トリスターノ (b.1981)(ピアノ録音2001) - ルクセンブルグ出身。クラシックでも、ケージなど現代もの、またジャズ、テクノまで幅広いレパートリーをもつ。

マルティン・シュタットフェルト(b.1980)(ピアノ録音2003) - 2002年ライプツイッヒで開催の国際バッハ・コンクールでの最年少優勝者。本録音はグールド同様、その翌年リリースされた彼のデビュー盤でもあった。

シモーネ・ディナースタイン (b. 1972)(ピアノ録音2007) -久し振りのアメリカが生んだ女流大型新進ピアニスト。2007年、彼女のデビューCDもまた「ゴルドベルグ変奏曲」だった。

アンドレアス・シュタイアー (b.1955 ) (ハープシコード録音2009) - 新進というよりは 今や最も活躍しているドイツ生まれのフォルテピアノ及びハープシコード奏者の雄。

ニコラス・アンゲリッチ (b.1970 )(ピアノ録音2011) - 次のデンク同様 何れも1970年のアメリカ生まれ。彼らもまた新進の域を脱して活躍中の中堅どころ。常に新しさを意図しているグループのひとり。

ジェレミー・デンク (b. 1970) (ピアノ録音2013) - 同上

塚谷 水無子(パイプ・オルガン録音2112) - オランダ・ハーレム、聖バフォ教会のC・ミューラー.オルガンを使用。

 更にはプログレッシヴ・オルガン、弦楽三重奏など諸々の組み合わせによる室内楽、ブラスバンド、ギター、アコーディオンによるものまで含めると今や百花撩乱といった感あり。これだけ多様な演奏が可能であったのも、例えば古典派以降の作品とは異なり、バッハの作品では、本曲に限らず元々譜面上において、かなり自由な演奏を可能にする許容度の広さとか深さがあるからということが言えよう。

 以降、このシリーズの予定としては 近代までの各時期を通して10曲程度の有名曲を取り上げながら 同様のすすめ方で検討してみたいと考えています。
最後までお付合いいただければ 幸甚です。

                                             高橋 記

付表   「ゴルドベルグ変奏曲」曲の構成

アリア(主題) ト長調 4分の3拍子 荘重なサラバンド風主題の提示。基礎音型  (32小節)
第1変奏 ト長調 4分の3拍子  1段鍵盤用  クーラント風 2声
第2変奏 ト長調 4分の2拍子  1段鍵盤用  トッカ―タ風 3声
第3変奏 ト長調 8分の12拍子  1段鍵盤用  同音のカノン 3声 模倣は1小節遅れてスタート
第4変奏 ト長調 8分の3拍子  1段鍵盤用  パスピエ風 4声
第5変奏 ト長調 4分の3拍子  1段鍵盤または2段鍵盤, トッカータ風 
第6変奏 ト長調 8分の3拍子  1段鍵盤用  2度のカノン、模倣は1小節遅れてスタート、3声
第7変奏 ト長調 8分の6拍子  1段鍵盤または2段鍵盤、シチリアーノ風ジーグ
第8変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用、 2声  トッカータ風
第9変奏 ト長調 4分の4拍子  1段鍵盤用  3度のカノン、3声
第10変奏 ト長調 2分の2拍子 1段鍵盤用  4声のフゲッタ 精緻な書法
第11変奏 ト長調 16分の12拍子  2段鍵盤用  トッカータ風
第12変奏 ト長調 4分の3拍子  4度のカノン, 模倣は2小節目から。
第13変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用、イタリア風アダージォ
第14変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用、トッカータ風
第15変奏 ト短調 4分の2拍子  1段鍵盤用、5度のカノン、珍しくアンダンテの速度表示あり。
第16変奏 ト長調 2分の2拍子から分の3拍子  後半最初の変奏曲、フランス風「序曲」と記される(48小節)
第17変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用、2声のトッカータ風
第18変奏 ト長調 2分の2拍子  1段鍵盤用、6度のカノン、2声  
第19変奏 ト長調 8分の3拍子  1段鍵盤用、舞曲風
第20変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用、技巧的な曲
第21変奏 ト短調 4分の4拍子  7度のカノン 
第22変奏 ト長調 2分の2拍子  穏やかなフーガ風 アラ・プレーヴェ 4声
第23変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用
第24変奏 ト長調 8分の9拍子  1段鍵盤用, 8度のカノン
第25変奏 ト短調 4分の3拍子  2段鍵盤用、ゆったりとして幻想的
第26変奏 ト長調 16分の18と4分の3拍子の対立。 2段鍵盤用、プレリュード風  ホモフォニック的
第27変奏 ト長調 8分の6拍子  2段鍵盤用、 9度のカノン, カノン部分のみ2声。
第28変奏 ト長調 4分の3拍子  2段鍵盤用、 非常に技巧的
第29変奏 ト長調 4分の3拍子  1段鍵盤または2段鍵盤、ホモフォニック的展開
第30変奏 ト長調 4分の4拍子  1段鍵盤用, 3つの民謡風旋律が組合わされる。4声、クォドリベット様式
アリア ト長調 4分の3拍子  最初の主題の再現

*1段/2段鍵盤の指定なき場合は、何れを使用してもよい。

以上