AAFC

『ピアノ音楽の楽しみ方』(6)

名曲の名演奏を聴き比べながら
ピアノ音楽の歴史を学ぼう!

2015年10月11日
分科会資料
担当 : 高橋 敏郎

 

<第六回> 19世紀ロマン派音楽における”ピアノの詩人”ショパンの独自性 
及び その作品に垣間(かいま)みられるバロックや古典派音楽の影響

 

 西欧クラシック音楽史上 ピアノ音楽を語る場合、”ピアノの詩人”と呼ばれたロマン派の作曲家ショパン(1810-49)を外すことはできまい。
当時もヨーロッパの決して中心とはいえないポーランドのジェラゾヴァ・ヴォーラという片田舎でフランス人の父とポーランド人の母との間に生まれたショパンは、幼ないころからピアノの演奏と作曲において抜群の音楽的才能を発揮して神童と呼ばれた。
父親は彼を音楽の道に進めるべく 音楽家ジブニーの指導後、16歳からワルシャワ音楽院に進学させたが、その頃既にポーランドでは知らぬ者なき著名なピアニストだった。
更に何回かの国外演奏旅行によってベルリン、ウィーン、パリでもその知名度は広がったが、20歳のとき旅行中に祖国ポーランドで動乱が勃発。ワルシャワが陥落し、已むなくパリに留まらざるをえなくなる。
爾来、彼の活躍の場は西側ヨーロッパ、中でもパリを中心とするサロン界となった。その後39歳の若さで肺を病んで早逝するまで祖国ポーランドに戻ることは二度となかった。

  その生涯は 作品的にも曲種・作風の観点から 1830年(20歳)のポーランド出国までを初期、パリに拠点を移しジョルジュ・サンドとのマヨルカ滞在から戻る39年(29歳)までを中期、それ以降49年の死去(39歳)までを後期とする区分が多い。

 ショパン作品の特徴はまず圧倒的にピアノ曲中心であり、その他のジャンルに手を染めることはほとんどなかったし、また興味もなかった。
またロマン派の中心的作曲家ではあっても他のロマン派の作曲家、例えばベルリオーズ、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ブラームズなどとは異なり、自身で題名を付けた作品が極端に少なく純粋なピアノ曲が主流を占めていたこと、即ちロマン派の特質ともいえる文学との関係が極めて希薄だったこと、また前述の作曲家のごとく文筆や批評活動に熱心でもなかった。
生涯を通して、ただ只管脇目もふれずにピアノ音楽に注力した作曲家であった。ただし、ことピアノに関する限り、あらゆる曲種に通暁し、しかもどの分野でも優れた作品を残した。大きく3つのカテゴリーに分けてみたい。

 先ずは神童と呼ばれた学習期に学んだバロックや古典派音楽、中でもバッハとモーツァルトなど彼が尊敬してやまない先達の影響下の作品、次に故郷ポーランドなど民族舞曲に基づくマズルカ、ポロネーズ、ワルツなど民族色豊かな作品、そしてスケルツォ、バラード、舟歌、子守唄など彼独自の創造になる作品群である。

 今回はその中でもバッハの平均率クラフィア曲集に触発されて作られたといわれる24の前奏曲集と典型的な古典派様式であるピアノ・ソナタから最も完成度が高い第3番ロ短調の2つを中心に検討してみたい。何れもショパン畢生の傑作とといわれる作品である。

24の前奏曲 作品28 (1836-39)

 バッハの平均率クラフィア曲集から霊感を得たといわれる作品で、同様に24の調性の異なる曲から構成される。
ただバッハの場合 前奏曲とフーガが一組になって調性配列はハ長調から始まり続いてハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調、ニ長調、ニ短調というように同じ調が半音階づつ上向進行し、最後はロ長調を経てロ短調で終わるのに対し、ショパンの本作品は同じくハ長調から始まるが、つぎがその平行短調のイ短調、3曲目はハ長調より5度上のト長調、4曲目はその平行短調のホ短調というように平行調が5度ずつ上昇する5度循環形式によって一巡し、23曲目ヘ長調を経て最後の24曲目は二短調で終わる。ショパンの工夫であろう。
このように何れも長短を異にする24の楽曲から構成されている。ただし、こちらはバッハのように整然としたものではなく、24の前奏曲は夫々性格、形式ともにまったく一定せず自由自在に展開していくのが面白い。

 ほとんどが短い断章ながら一つ一つは極度にエスプリが凝縮している。
19世紀ロシアの巨匠アントン・ルービンシュタインは ”ショパンの真珠”と評し、20世紀を代表するショパンのスペシャリスト、アルフレッド・コルトーは各曲に次のような詩的コメントを付けている。(括弧内参照)

 1.ハ長調アジタート - バッハ的な3声対位法による極く短い指慣らしといった感じ。終りはアルペッジョの中に消える。(恋人を待ちわぶ)

 2.イ短調レント - 3回つぶやくような旋律とそれを伴奏する不気味な不協和音。絶望的雰囲気の曲。(悲しき瞑想、はるかに見える寂しき海)

 3.ト長調ヴィヴァーチェ - 軽快で明るい。(小川の歌)

 4.ホ短調ラルゴ - 自身のパリでの葬儀でも演奏された。重々しい感じ。(奥津城のほとり)

 5.ニ長調モルト・アレグロ - 対位法的展開。バッハ的。(歌声に充てる街)

 6.ロ短調レント・アッサイ - 15番同様 ”雨だれ”を連想させる。(郷愁)

 7.イ長調アンダンティーノ - マズルカ風リズム。『太田胃酸』のCMに使用。(記憶の中を芳香のごとく楽しき思い出は漂う)

 8.嬰ヘ短調モルト・アジタート - これも対位法的。(雪は霏々(ひひ)として降り、風は吼え、嵐は猛り狂えども、わが心の中には、なお恐ろしき嵐あり)

 9.ホ長調ラルゴ - 12小節の最短曲。短くとも雄渾な趣きあり。(ポーランドの末路)

 10.嬰ハ短調モルト・アレグロ - これも短く まるで疾風の如し。(降り来る火箭(かせん))

 11.ロ長調ヴィヴァーチェ - 軽快にして繊細。(若き乙女の願い)

 12.嬰ト短調プレスト - 16番とともに最難度の曲。速いテンポで焦燥感に溢れる。(夜の騎士)

 13.嬰へ長調レント - 美しく優しく甘味。(異郷に星月夜の空を仰ぎ、遠く離れしの恋人を想う)

 14.変ホ短調アレグロ - 終始両手のユニゾンの3連音で速い演奏。スケッチ風。(嵐の海)

 15.変二長調ソヌテヌート - 俗称 ”雨だれ”で有名、誰でも知っている曲。長さも最長で単独でもよく演奏される。(いとし子を眠りにつかす若い母。自らもやがて夢の国へ。悪夢。わが子の運命は絞首刑に終わると知り、驚き悲しみ、目覚む。されど、母の心は、なお、おののきつつあり)

 16.変ロ短調プレスト・コン・フォコ - 難曲。左手はギャロップ風にリズムを刻む。(奈落の谷への道)

 17.変イ長調アレグレット - 90小節の15番に次ぐ長い曲。11回現れる鐘の音が印象的。リズムの単調さと転調の美しさが妙。(かの女は「われを愛す」といえり)

 18.ヘ短調モルト・アレグロ - 短いが激情的。(呪咀)

 19.変ホ長調ヴィヴァーチェ - 終始爽快な3連音が両手で奏される。(恋人よ、われに翼あらば、とく天(あま)がけり行かんものを)

 20.ハ短調ラルゴ - 短い葬送行進曲風。(葬送行進曲)

 21.変ロ長調カンタービレ - 夜想曲的。美しい。(契り交わせし想い出の場所に、独り淋しく帰り行く)

 22.ト短調モルト・アジタート - 終始フォルテ、フォルテッシモで奏される烈しい曲。(革命)

 23.ヘ長調モデラート - ショパンの最も美しい小品の一つ。牧歌調。(水の女神のたわむれ)

 24.ニ短調アレグロ・アパッショナート - ”革命エチュード”に似た悲壮感溢れる作品。壮大に終曲となる。(若き血、耽溺、死)

 * ( )内の註はアルフレッド・コルトー(訳 西条卓夫)

 

 もちろん 夫々独立して聴いたり、部分通し(例えば1番から4番までとか15-18番まで、或は19-24番など)でもよいが、本来は集合体として全曲通しで聴くように作曲されたものであろう。

ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58 (1844)

 典型的な古典派様式であるピアノ・ソナタによる作品をショパンは3つ作っているが、ここでは最も完成された内容とされる3番ロ短調(1844)を取り上げたい。
形式的に古典派の影響下とはいっても全てが早い時期に作曲されたものではなく、この3番など後期の作品であることが興味深い。
左様、これら3つのソナタは、初期、中期、後期と 夫々一曲づつ作曲されているのである。

第1楽章

アレグロ・マエストーソ ロ短調 4分の4拍子 ソナタ形式 
第一主題は行進曲風に始まる堂々としたもの、これに対し第二主題は晴れ晴れとして麗しい。提示部の最後は美しくセンチメンタルな風情あり。展開部、再現部を経て短いコーダで終わる。

第2楽章

スケルツオ モルト・ヴィヴァーチェ 変ホ長調 4分の3拍子 3部形式

第3楽章

ラルゴ ロ長調 4分の4拍子  3部形式  
中間部をもつ夜想曲と考えてもよい。単純だが荘重、大変美しい楽章。中間部は分散和音から浮かび上がる右手の旋律と左手の対旋律が恰もオペラの愛の二重唱を連想させる。

第4楽章

フィナーレ プレスト・ノン・タント ロ短調 8分の6拍子 ロンド形式  
楽章の構成は A(序奏) - B - A - B - A - コーダ。雰囲気は華麗にして情熱的。

今回の演奏者の簡単なスケッチ

アルフレッド・コルトー(1877-1962) スイスのニオン生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメに学ぶ。20世紀を代表するフランス系ピアニスト。ショパン弾きとして知られたコルトーにとって24の前奏曲は最も得意とする曲。1926年, 33-34年, 42年, 57年と計4回の録音しているが、テンポなどに長短はあっても基本的解釈に大差はない。19世紀的ロマン色の濃い演奏の典型。技巧的には33-34年盤が若干よいが、今回は比較的録音の優れた57年盤を取り上げる。(前奏曲-57年録音)

ディヌ・リパッティ(1917-50) ルーマニア、ブカレスト生まれ。34年、ウィーン・ピアノ・コンクールでは2位におわるが、審査員のひとりコルトーはその結果に納得せず席を立ってパリに帰ってしまったという有名な逸話がある。以来パリ音楽院でコルトー門下となる。白血病のため33歳の若さで死去。数少ない残された録音は何れも品格とポエジー溢れる珠玉の名演といわれる。(ソナタ-47年録音)

サンソン・フランソワ(1924-70) ショパンを得意にしたフランス系破滅型天才ピアニスト。フランス人の両親の下、フランクフルトで生れる。リース音楽院在学中コルトーに見出され、パリ音楽院に移籍し40年卒。43年、ロン=ティボー・コンクール優勝、ショパンとともにドビュッシーなどフランス音楽を得意としたが、演奏には独特のモダンな香りが漂った。(前奏曲-59年録音)

グレン・グールド(1932-82) カナダ・トロント生まれ。何回か本講座でも登場しているので 細かな説明は省略。ソナタ3番はショパン嫌いで有名なグールドにとって唯一のショパン録音。グールドらしくルバートを極度に排しインテンポに徹したユニークな演奏。(ソナタ-70年録音)

マルタ・アルゲリッチ(1941-) アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。5歳から名教師スカラムッツァに師事。外交官の父と共に55年以降、ヨーロッパに移住。グルダ、マガロフ、ミケランジェリらにも師事する。ブゾーニやジュネーブ・コンクールで優勝后 1965年ショパン・コンクールで優勝。次のポリーニとともに現在も最高のピアニストといわれる。ショパンでは前奏曲やソナタを得意とする。演奏は奔放かつ情熱的。当然の事かもしれぬが 若い時程 その傾向は強い。
(前奏曲-75年録音/ソナタ-65年と67年録音)

マウリツィオ・ポリーニ(1942-) ミラノ生まれ。ミラノ音楽院で学ぶ。1960年第6回ショパン・コンクールで優勝。審査委員長のルービンスタインは「彼はここにいるどの審査員よりも上手い」と評した。以降の活躍は説明不要であろう。ショパン演奏においても切れ味鋭い感性と緻密なテクニックが特徴。年齢とともに枯れてはきたが・(前奏曲-75年と2011年録音/ソナタ-84年録音)

ユンディ・リー(1982-) 中国重慶生まれ。4歳からアコーデオンを学び、ピアノは7歳から深圳音楽院で名教師ダン・シャオイに師事。海外留学もなく、2000年18歳でショパン・コンクールに優勝し注目された。つい最近 前奏曲の公式録音を初めて行なったので一部聴いてみたい。
(前奏曲-15年6月録音)

ダニール・トリフォノフ(1991-) ロシア、ニジニ・ノヴゴロド生まれ。モスクワ、グネーシン音楽学校で タチアナ・ゼリグマンに師事。2010年ショパン・コンクールでは予想に反し3位ながら、翌年開催のチャイコフスキー・コンクール及びルービンスタイン・コンクールで何れも優勝。今後最も嘱望されているピアニストのひとり。(前奏曲-13年録音/ソナタ-10年録音)

PS 時間があればハイファイ用ソフトで知られる米シェフィールド・ラブが作ったアナログ・ハーフ・インチ、2-トラック・テープからディジタルCDマスターに直接トランスファーしたCDで、この前奏曲をお聴き願いたい。

曲目 ショパン 前奏曲(Nos.1-4)演奏 リンカーン・マヨーガ(ピアノ)1985年録音
* マヨーガは1937年ロス・アンジェルス生まれ、クラシック、ジャズ、ポップス分野でピアニスト、指揮者、作曲家、アレンジャーとして活躍中。

以上