AAFC

第15回 往年の女流名ヴァイオリニストを聴く

ヨハンナ・マルツィ(ハンガリー) (全4回)
(その1)ドイツ・グラモフォンへの録音時代
(1951~1953.6)(26~28歳)

2016年1月31日

分科会資料
担当:霜鳥 晃

 

Johanna Martzy(1924.10-1979.8 54y)

 5人兄弟の末っ子。6歳よりヨーゼフ・ブランディス(カール・フレッシュの弟子)についてヴァイオリンを始める。
7歳の時、既に70歳だったイエネー・フバイのオーディションを受ける。
フバイはマルツィの才能を非常に高く評価し、彼のレッスン・クラスに通わせた。
1932年(8歳)、フバイが学長を務めていたフランツ・リスト音楽院に入学。
13歳にして、ハンガリーやルーマニアを巡る初コンサート・ツアーを実施。
16歳でレメーニ賞、17歳でフバイ賞を獲得。
1942年(18歳)同音楽院を卒業。翌年ウイレム・メンゲルベルク指揮のもと、ブダペスト・フィルハーモニーとチャイコフスキーの協奏曲を演奏。

1944年3月(19歳)、ドイツ軍のハンガリー侵攻の後は、夫のベラ・チレリー(時の執政ホルティ政権の協力者)と共に避難を余儀なくされ、この過程で“無国籍状態”となりチロルに潜伏した。オーストリア人に逮捕され、長く厳しい尋問を受けるが、フランス軍により救われ、1946年まで夫婦は専属音楽家として留まることになる。その後、スイスに移住し、ここでアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団とチャイコフスキー協奏曲を演奏することになる。

1947年10月(23歳)ジュネーブ国際コンクールで女性演奏家として唯一入賞を果たし世界的に活動を始める。

(続く)          

1.モ-ツァルト  (1756-1791 35y)           

ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K.218  (mono)・・・・・・・・・・・・・(23:36)

第1楽章 Allegro        4/4 ソナタ形式                (9:06)
第2楽章 Andante cantabile 3/4 イ長調 展開部を欠くソナタ形式   (7:27) 
第3楽章 Rondo (2/4 Andante grazioso – 6/8 Allegro ma non troppo)  (7:03)

指揮: オイゲン・ヨッフム 
    バイエルン放送室内管弦楽団
録音:1952年11月 (28歳)

2.ベートーヴェン  (1770-1827 56y)

ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ト長調  op.30-3 (mono)・・・・・・・・・・ (17:10)

 このソナタは第6番、第7番と共にロシア皇帝アレキサンダー一世に捧げられた。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中では、第5番「春」、第9番「クロイツェル」に次いで第7番ハ短調と共によく演奏される。
7番ほどの壮大さはないが、マルツィはこの躍動的な8番を好み、後年ラジオ放送でも録音を残している。
軽やかな第1楽章、和やかな第2楽章、早口にしゃべりまくような第3楽章からなっている。

第1楽章  Allegro Assai     ト長調 6/8 ソナタ形式     (6:29)
第2楽章  Tempo di Menuetto、ma molto moderato e grazioso
                   変ホ長調 3/4 三部形式    (7:26)  
第3楽章  Allegro vivace     ト長調 2/4  ロンド形式    (3:15)  

ピアノ:ジャン・アントニエッティ
録音:1952年7月 (mono) (27歳)
    

3.ドヴォルザーク (1841-1904 62y )

ヴァイオリン協奏曲 イ短調 op.53   (mono) ・・・・・・・・・・・・ (32:00)

1879年ドヴォルザーク38歳の時の作品。(有名なチェロ協奏曲ロ短調は1895年54歳の時の作品)
その頃ようやく国際的に名を知られるようになったドヴォルザークに作曲を勧めたのはヨゼフ・ヨアヒムであった。
ヨアヒムは独奏ヴァイオリンのパートに関し積極的な助言を惜しみなく与え、ドヴォルザークは
深い尊敬をもってヨアヒムに原曲を献呈した。
しかし、ヨアヒムはさらなる改定を要望し、翌80年、82年の2回にわたって改作が施されたが、結局初演はヨアヒムではなく、1883年になってチェコの名ヴァイオリニスト オンドルジィチェック 指揮アンゲルによってなされた。

(ヨアヒムはこの作品に疑念を抱いていた。第1楽章において、オーケストラのトゥッティのぶっきらぼうな削減に反感を覚えたためとか、あるいは再現部を切り詰めてそのまま緩徐楽章に進むことに好感を覚えなかった為だと言われる。また、終楽章における執拗な反復にも狼狽したようだ。………以上Wikipediaより)

第1楽章の最後、短いカデンァの後、切れ目なく第2楽章に続くが、それに気付きにくい。
この曲の出版に際し、ジムロック社は第1楽章と第2楽章の分離を提案したが、ドヴォルザークは極めて重大な問題として絶対的な反対を表明したという。

楽曲は旋律美、音楽的魅力、和声の素晴らしさ、ボヘミヤの郷土的な歌と踊りに満ち溢れ、大いに好評を博して、ヴァイオリン協奏曲の最も優れた作品の一つとして引き続き世界的に愛奏されたが、その反動のせいか、その後一時的に人気が低下した時代もあった。しかし近年、その真価が再確認されるに至った。

第1楽章 Allegro ma non troppo         イ短調 4/4  (11:21)
第2楽章 Adagio ma non troppo         ヘ長調 3/8  (9:52)
第3楽章 Allegro giocoso, ma non troppo   イ長調  3/8  (10:46)  

指揮:フェレンツ・フリッチャイ
    ベルリン・リアス交響楽団
録音:1953年6月 (28歳)
        

本協奏曲の主な録音史

マルツィ/フリッチャイのこの素晴らしい演奏をお聴きになれば、当時あまり演奏されていなかったこの曲を復活させ、その後多くのヴィルトーゾが次々と録音しだしたことがお分かりになると思います。

1. クーレンカンプ ヨッフム ベルリンpo (1941) テルデック
2. マルツィ フリッチャイ ベルリン・リアスso

(1953)

グラモフォン
3. ミルシテイン スタインバーク ピッツバーグso (1957) エンジェル
4. オイストラフ コンドラシン モスクワpo (1958) オイロディスク
5. スーク アンチェル チェコpo (1960) スプラフォン
6. スターン オーマンディ フィラデルフィアo (1965) CBS・ソニー
7. パイネマン マーク チェコpo (1965) グラモフォン
8. フデチェック スメターチェク プラハo (1972) Pan
9. パールマン バレンボイム ロンドンpo (1974) エンジェル
10. スーク ノイマン チェコpo (1978) スプラフォン
11. アッカルド C.ディヴィス ゲヴァントハウスo (1979) フィリップス

アンコール・ピース

1.ラヴェル    ハバネラ形式による小品       (2:34)
2.ラヴェル    フォーレの名による子守歌      (2:33)
3.ミヨー      イパネマ                 (2:09)
                        (p)ジャン・アントニエッティ

以上