シューマンの生涯と作品
19世紀前半のロマン派ピアノ音楽は 相次ぎ輩出したほぼ同年齢の3人の天才ピアニストによる切磋琢磨とそうした動きに呼応するかのような楽器としてのピアノの著しい進化により全盛期を迎えることになる。
ポーランド生れのショパンはフランス、中でもパリのサロンに集う貴婦人たちを優雅なピアノの調べで魅了し、ハンガリー生れのリストはウィーン、ロンドンを手始めに全ヨーロッパの大ホールを埋め尽くした聴衆を相手に華麗な超絶技巧を駆使しながら圧倒する。この2人の天才に対し今回取り上げるシューマンは、1810年、ドイツ、ザクセン地方のツヴィッカウ生まれ、父は出版業者兼作家、母は医師の娘だった。
幼少時からピアノと文学的才能を開花させるが、ピアノの猛練習が祟って20代初めに右手負傷。以降、演奏家になることを断念し、作曲と音楽評論に専念することになる。従って、その活躍場所も生地に近い主にライプツィッヒやドレスデンを拠点とし、国外に出掛けることはあまりなく、しかも珠玉のようなピアノ作品の作曲は、ほとんどがピアノの師、ヴィーク教授の長女で当時既に著名なピアニストだったクララとの波乱に充ちた大恋愛の末、結婚許可が下りる1840年までの時期に集中している。
因みに多彩な才人シューマンの場合、あらゆるジャンルの作品を作ったが、一つのジャンルの作曲はほぼ一時期に集中して作曲する傾向にあった。
例えば結婚の年、1840年(30歳)は「歌の年」と呼ばれ、「女の愛と生涯」「「詩人の恋」「リーダークライス」Op. 39など、ほとんどが歌曲の作曲に当てられたし、翌41年は交響曲第一番、ピアノ協奏曲第一楽章、交響曲第四番など「交響曲の年」、翌42年は 弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲など「室内楽の年」、次の43年が「楽園とペーリ」など「オラトリオの年」さらに続いて、45年が「6つのフーガ」など「フーガの年」、47年がオペラ「ゲノフェーファ」「ピアノ三重奏曲第1番・第2番」など「オペラとピアノ三重奏曲の年」というように。
然し1856年、ボン近郊の精神病院で享年46歳という決して長くはなかった彼の人生に於いて、全作品の中でも中心になるのはピアノ作品であり、而も繰り返しになるが、その作曲時期はほぼ1833年からクララの父、ヴィークとの長い法廷闘争の末、漸くクララとの愛が成就した記念すべき年、40年までであり、ほとんどの作品はこの時期に作られた。何れも当然のことながら、当時女流ながらドイツでは最高のピアニストの一人といわれたクララが弾くことを意図して作曲されたものである。この時期以外に作られたピアノ作品といえば、かのピアノ協奏曲(1845)と「森の情景」(1849)ぐらいであろう。
今回は彼のピアノ作品では最もよく知られた「子供の情景」と名作「クライスレリアーナ」及びロマン派最高のソロ・ピアノ曲と称されている「幻想曲」の3曲を取上げたい。
特に最初の2作品は標題つき小品によるピアノ組曲であり、文学と音楽の融合というロマン派本来の理念を目指したものと言われるが、3曲何れにも共通するのは、シューマンらしくバッハ以降の対位法などドイツ本流の古典的要素を踏まえながら、その中に特有の深い幻想性と叙情性を感じさせる古今のピアノ作品の傑作であることだ。
是非、ご一緒にお楽しみいただきたく。
作品概要
「子供の情景」作品15 (1837/38年)
13のピアノ小品から成り それぞれには下記のような題名が付いた組曲。
1.「見知らぬ国と人々」 2.「奇妙な話」 3.「鬼ごっこ」 4.「おねだり」 5.「幸せいっぱい」 6.「重大な出来事」 7.「トロイメライ」あまりに有名。ロマンティックで夢見るような不朽の小品。 8.「炉端で」 9.「木馬の騎士」 10.「むきになって」
11.「怖がらせ」 12.「子供は眠る」 13.「詩人は語る」詩人とは作曲者自身であろう。幻想味に溢れた子供のころの世界の回想。
シューマンによれば「各曲に付された標題は実際の具体的情景ではなく、あくまで音楽による詩的情景」と説明しているが、本曲集自体、子供が弾く子供のための曲集ではなく、大人からみた子供時代の想い出を情緒的に描いたものである。
組曲ではあるが、全体は第1曲の冒頭テーマに基づく緩やかな変奏曲として作られている。中心は何といっても、第7曲の「トロイメライ」と終曲「詩人は語る」で、本曲を弾くことを予定されていたクララに、この終曲演奏に当っては「繊細に、幸せに、私たちの未来のように」と指示している。
全曲は、この曲を得意とするクララ・ハスキル(Philips r.1955 17:40)で、「トロイメライ」をギーゼキング(EMI r.1940)、ホロヴィッツ(DGG r.1987) 以下で聴いてみたい。
「クライスレリアーナ」作品16 (1838年)
「クライスレリアーナ」とは”クライスラーに関する事ども”といった意味のようで、そのクライスラーとは、まさにロマン派の申し子みたいなE.T.A. ホフマン(1776-1822)の別称。
彼は詩人、小説家、画家、作曲家、指揮者、音楽評論家を兼ねたベルリン大審院判事でもあるという多彩極まる人物であった。そのホフマン(通常E.T.A.と略称)が、音楽評論のときに使用したペンネームが「クライスラー」。
全体は8曲構成で、シューマンが得意としたピアノ組曲中、最高と評されるピアノ作品である。言ってみれば、シューマンの親しい仲間でもあるE.T.A.の人となりというか分裂的性格を彼が感じたまま諸々の側面から情緒的かつ幻想的に表現しようとしたものであろう。
8曲の小品には夫々次のような厳密には標題といえるかどうか”見出し”が付いている。
1.極めて活発に 2.非常にやさしく しかも速くなく 3.非常に興奮して 4.非常に遅く 5.非常に元気に 6.非常に遅く 7.非常に速く 8.迅速に しかもいきいきと
当然のことながら本曲はクララが弾くことを前提に書かれたものであるが、最終的には親友ショパんに献呈された。
全曲はマウリツィオ・ポリーニ(DGG r.2001 29:08)で、よく弾かれる第2曲をホロヴィッツ(CBS r.1962)、アラウ(Phi. r 1946 )アルゲリッチ(DGG r.1984)で聴いてみたい。
「幻想曲」ハ長調 作品17 (1836-38年)
リストに献呈。ロマン期最高の独奏ピアノ曲との評判が高い傑作。題名は「幻想曲」となっているが、全3楽章から成るピアノ・ソナタと考えてもよい。尚、楽譜の冒頭には詩人シュレーゲルの詩「茂み」から次の詩の一節が掲げられている。
この世の色とりどりの夢の中の あらゆる音を貫いて
ひそかに聴き入る人の耳には 一つのささやかな音が響きわたる
第一楽章 ハ長調、4/4拍子 "あくまで幻想的に、そして情熱的に"
2つの主題をもつ雄大なソナタ形式。展開部は第2主題の変形であるが 古風な感じ。
第二楽章 変ホ長調、4/4拍子 ”中庸に、精力的に” 勇壮な感じの行進曲風ロンド形式。
第三楽章 ハ長調、12/8拍子 ”穏やかに保って、徹底してひそやかに” ソナタ形式。
短い導入部を経て第一主題が現れる。静かに転調を繰り返しつつ、穏やかな沈静化へと向かう。シュレーゲルの冒頭の詩に対応するかのように。
全曲はリヒテル(EMI r.1961 33:54)、穏やかな第3楽章をホロヴィッツ(COL 1965L)またはアルゲリッチ(EMI r.1976) か、M–A.アムラン(HYP. r,1999)で。
ピアニスト人名録
クララ・ハスキル (1895-1960)
ルーマニアのブカレスト生まれ。10歳のときウィーンでデビュー、パリ音楽院でコルトー、フォーレに師事、身体が弱く病床と復帰の連続だったが、本格的に活躍を始めたのは戦後になってから。モーツァルト弾きとして知られたが、シューベルト、シューマン、ショパンも得意とした。
ワルター・ギーゼキング(1895-1956)
フランスのリオンでドイツ人両親のもとで出生。国籍はドイツ。ハノーファー音楽院でカール・ライマーに師事。1915年ハノーファーでデビュー。以降ロンドン、NY、パリで大成功を収める。ベートーヴェン、シューマン、モーツァルト、さらにフランスもの、中でもドビュッシー、ラヴェルを得意とし、正確なタッチ、メリハリのよさ、細かなニュアンスや多彩な音色には定評がった。また主観を排した”新速物主義”のリーダーでもあった。
クラウディオ・アラウ(1903-91)
チリのチラン生まれ。神童として知られ、チリ政府により、8歳のときベルリン、シュテルン音楽院に官費留学。リストの弟子クラウゼに師事。11歳でベルリン・デビュー。27年ジュネーブ国際音楽コンクールで優勝。べートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲の校訂版もあり、とくにドイツのピアノ作品演奏には定評あり。
ヴラディミール・ホロヴィッツ(1904-89)
ウクライナのキエフ生まれ。同音楽院でブルーメンフェルトに師事。21年デビュー,忽ち名声を博す。25年、ハンブルグで大成功後、28年NYデビュー、RCAと専属契約。トスカニーニとの共演など絶頂期を迎える。44年アメリカに帰化。指を伸ばして弾く独特の奏法、強靭なタッチと完璧な技法で20世紀最大のピアニストと云われた。
スヴァトスラフ・リヒテル(1915-97)
旧ソ連、オデッサ生まれ。父はドイツ系でプロのピアニストだったが、自身ピアノは独学で修める。19歳でリサイラルデビュー。22歳のときモスクワ音楽院のゲンリッヒ・ネイガウスに師事、ショスタコヴィッチ、プロコフィエフと交流、1945年、全ソヴィエト音楽コンクール優勝。以降 ソ連国内、東ヨーロッパで活躍、60年に西欧デビューし、20世紀最大のピアニストの一人に数えられた。
マルタ・アルゲリッチ(1941-)
アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。5歳から名教師スカラムッツァに師事。外交官の父と共に55年以降、ヨーロッパに移住。グルダ、マガロフ、ミケランジェリらに師事する。ブゾーニやジュネーブ・コンクールで優勝后 1965年ショパン・コンクールで優勝。次のポリーニとともに現役最高のピアニストといわれる。ショパン以下レパートリーは広いが、最近は残念ながらあまりソロをやらない。演奏は奔放かつ情熱的。当然の事かもしれぬが、若い時程その傾向は強かった。
マウリツィオ・ポリーニ(1942-)
ミラノ生まれ。ミラノ音楽院で学ぶ。1960年第6回ショパン・コンクールで優勝。その時の審査委員長のルービンスタインは「彼はここにいるどの審査員よりも上手い」と評した。以降の活躍は説明不要であろう。ショパン以下、彼のレパートリーも広い。どの演奏においても切れ味鋭い感性と緻密なテクニックが特徴。年齢とともに枯れてはきたが・
マルク~アンドレ・アムラン(1961- )
カナダ、モントリオール生まれ。カナダ、ヴァンサン・ダンディ音楽院、米テンプル大学で学士/修士号取得。1982年ブレトリア国際音楽コンクール、85年カーネギーホール国際アメリカ音楽コンクールで優勝、今ではグレン・グールドの後継者と目され、世界的に賞賛されている逸材。
以上