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『ピアノ音楽の楽しみ方』 第10回(最終回)
  <名曲の名演奏を聴き比べながらピアノ音楽の歴史を学ぼう>

フランス印象派の巨匠 ドビュッシーとラヴェルによる近代ピアニズムへの幕開き


2016年12月11日

分科会資料
担当 : 高橋 敏郎

 

 お陰様で本シリーズも今回で最終回となりますが、19世紀末から第一次大戦前後まで活躍し、その革新性によって 近代ピアノ音楽発展に多大な影響を与えた ドビュッシー(1862-1918)とラヴェル(1875-1937)の二人の天才を以って本講座の終わりと致したく。

 常に並び評された印象派の二人、ドビュッシーとラヴェル。特に13歳年長だったドビュッシーにとって先ず為すべきことは それまで圧倒的に主流だったロマン派音楽と断固決別し、それに取って替わるべき新たな方向性を打ち出すことであった。このための大きな指針になったのが、当時、同じフランスを舞台に活躍中だった印象派の画家たちによる一連の動向であり試行錯誤だった。それは仮令音楽の場合であっても情景喚起的なタイトルのもとに、画家たちと同様、直接見たまま聴いたままの印象を、諸々の手法、例えば調性や機能和声からの離脱、五音音階や全音音階、教会旋法など多彩な新技法を採用しつつ、響きによる情景表現をすることであった。表現された印象における差異はあっても、時には先輩ドビュッシーに先行しながら、同志として同じ路線を継承しようとしたのがラヴェルだった。

 彼らの主張は、デュカス、ルーセル、ストラヴィンスキーなど多くの作曲家に影響を与えたのみならず、第二次大戦後のブーレーズらの現代作曲家による再評価へと繋がり、大戦後の前衛音楽の出発点ともなった。

クロード・ドビュッシー(1862-1918)

 フランスの作曲家。パリ郊外の陶器商の家に生まれる。10歳でパリ音楽院入学を許されて作曲とソルフェージュを学び、22歳の時カンタータ「蕩児」で念願のローマ大賞を受賞、ローマ留学を果たした。
 ワーグナー批判から出発し、20世紀の扉をこじ開けた作曲家と言われるが、94年「牧神の午後への前奏曲」で自己の音楽語法を確立、以降 印象主義の巨匠として、ラヴェルと共にフランス楽壇の重鎮として活躍した。
 その間、ピアノ作品でも「2つのアラベスク」(1888),「版画」(1894-1903),「子供の領分」(1906-8),「前奏曲第1集」(1904-5),前奏曲第2集」(1910-12)(何も形式はピアノ小曲集)などの傑作を残した。
 1918年、がんのため逝去。享年55歳。ところでドビュッシー生涯最大の傑作はオペラ「ペレアスとメリサンド」(1902)なのか、それとも管弦楽曲「海」(1905)なのか。

A. ピアノ曲集「版画」(1903)

 ドビュッシー好みのエキゾティックな素材が盛り込まれたピアノ作品。この作品で彼の印象主義的語法が確立したと言われる。下記3部構成から成る。

1。”パゴダ”(塔) 当時パリの万博で自ら見聞したジャワ音楽の影響がみられる
2。”グラナダの夕べ” スペイン、ハバネラのリズムを採用 
3。”雨の庭” 連続する16分音符が庭に降りしきる雨音を表す。途中フランスの子供の歌が入り、明るいコーダで終わる。

演奏:全曲 R.カサドジュ(CBS r.1953 -time 13:22);A.ワイセンベルク(DG r.1985,t.12:00)
ドビュッシー自演ピアノ・ロール(”グラナダ”)のみ(CONDON-COL. r.1913,t 3:28)

B. ピアノ曲集「前奏曲集(第2集)(1910-13)

 前奏曲集は(第1集)(1909-10)12曲と(第2集)12曲の24曲から成る。尊敬するショパンの「前奏曲集」に触発されて作曲されたが、ドビュッシーは各曲にタイトルが付いている。しかもこのタイトルは曲の最初でなく終わりに付けられている。(第1集)(第2集)共に何も出来栄えに於いて甲乙つけがたく、ドビュッシーのピアノ音楽の最高傑作と言われてきたが、ラヴェルの「夜のガスパール」同様 フランスのピアノ音楽の集大成でもあろう。

1。“霧” 黒鍵と白鍵の衝突で漠とした霧が発生
2。”枯葉” モーリーの詩集からのイメージ。マルグリット・ロン曰く「秋の - ヴィオロンの - すすり泣き」
3。”ヴィーノの門” グラナダ宮殿門前の賑わい。ハバネラのリズムが現れる
4。”妖精たちの艶やかな舞い” 文字通り妖精たちの自在な踊り
5。”ヒースの草むら” ヒースはスコットランドのツツジ科の植物-そのヒースの茂る荒れ地の情景
6。”風変わりなラヴィーヌ将軍” 曲芸団に所属するユーモラスな変り者-アメリカの道化師の名前
7。”月の光が注ぐテラス” 精妙な月の光の情景
8。”オンデイーヌ” 水の精のこと。幻想的なリズム
9。”ピックウイック卿を讃えて” ディッケンズの小説の作中人物名ー皮肉屋でお人好し”名門貴族”を賛美。途中、英國国歌。
10。”エジプトのツボ” -ドビュッシーの机上を飾る”カノープ”と呼ばれる古代エジプトの壺から古への思い。
11。”交替する3度” - 24の「前奏曲」中、これだけが技巧上のタイトル。文字通り3度音程に終始する音の遊び。
12。”花火” まさに最後に華開く花火のイメージ。フランス国歌も現れて絢爛たる超技巧で終曲。

演奏:全曲、ギーゼキング(EMI r.1954 t.34:10) アムラン(HYPERION r.2011)(”3度”と”花火”のみ-t.6:59)

モーリス・ラヴェル(1875-1937)

 フランスの作曲家。フランス領のスペイン国境に近いシブールで、スイス人を父に、バスク系フランス人を母に生まれる。7歳からピアノを始め、1889年、14歳でパリ音楽院入学、対位法やフォーレから作曲法を学ぶ。
 1905年まで在学したが、その間、ピアノ曲では「グロテスクなセレナード」(93年)「古風なメヌエット」(95年)「亡き女王のためのパヴァーヌ」(99年)「水の戯れ」(1901年)また「弦楽四重奏曲」((03年)などの傑作を残した。
 彼はドビュッシーと並ぶフランス印象派の代表的作曲家であるが、構成はより古典的であり、響きもドビュッシー的朦朧というよりは遥かに明確である。晩年32年に交通事故に遭遇。後遺症のため、それ以降の余生は不遇だった。37年、永眠。

A. 「水の戯れ」(1901)

 音楽史上、最初の印象派主義によるピアノ作品「水の戯れ」は、ラヴェルがまだ音楽院の学生だった1901年の作曲だった。ちなみにドビュッシーによる初めての印象派ピアノ作品は上記「版画」(1903)であり、本曲の2年後のことである。組曲ではなく単独作品である。
 ソナタ形式で書かれ、水の動きを表す第一主題と、アルペッジョ風な音型に伴われた第二主題から成り、それらが華麗に展開、提示部が再現されて、最後はアルペッジョによって締めくくられる。曲の冒頭には「河に住む神は、水にくすぐられて微笑む」というド・レニエの詩が掲げられている。

全曲:リヒテル(RCA r.1960(L)NYカーネギーホール t.5:30); アルゲリッチ(DG r.1960 -t.5:27)

B.  ピアノ曲集「夜のガスパール」 (1908)

 作品は 夭折のフランス・ロマン派詩人、ベルトランによる同名遺作の散文詩から。怪奇で幻想に満ちた3つの詩に曲付けされたもので、ラヴェルのピアノ作品では最も技巧的に至難かつ傑作として知られる。

1. “オンディーヌ” 湖の底深くに住むオンディーヌ(水の精)が 夫に迎えた人間の若者に裏切られた怒りや恨みを微妙なタッチで描く。時には甘く激しくしかも幻想的。

2. ”絞首台” 陰々と響き渡る鐘の音は 寒い夜風の蠢きか、あるいは絞首台に晒された死刑囚の吐く息のモティーフでもあり、全曲を通して不気味な雰囲気が醸し出される。

3. ”スカルボ” スカルボとは 地の精でグロテスクな傀儡のこと。月光に誘い出されて寝室から出没、浮かれてスケルツォに合わせながら踊った果てに突然消え失せる。
演奏:全曲:ミケランジェリ(MEMORIA r.1987-ヴァチカン(L)t.23:35);フランソワ(EMI r.1947 8:13 ”スカルボ”のみ); ラヴェル自演ピアノ・ロール(”絞首台”)のみ(CONDON-COL.r.1925 t.5:22)

 

ピアニスト人名録

A. ヴァルター・ギーゼキング (1895-1956)

 フランスのリオンでドイツ人両親のもとで出生。国籍はドイツ。ハノーファー音楽院でカール・ライマーに師事。
 1915年ハノーファーでデビュー。以降ロンドン、NY、パリで大成功を収める。
 ベートーヴェン、シューマン、モーツァルト、さらにフランスもの、中でもドビュッシー、ラヴェルを得意とし、正確なタッチ、メリハリのよさ、細かなニュアンスや多彩な音色に定評があった。また主観を排した”新速物主義”のリーダーでもあった。

B.  ロベール・カサドジュ (1899-1972)

 フランス、パリ生まれ。有名な音楽一族の出身。10歳でパリ音楽院入学。ピアノをディエメール、作曲をモーリス・ルルーに師事。欧米各地で演奏旅行を行い、名声を得た。
 特にモーツァルトや、ドビュッシー、ラヴェルなどフランスものを得意とした。また妻でピアニストのギャビーとデュオを組んで名声を得た。新即物主義の代表、交通事故で他界した。

C. スヴェトスラフ・リヒテル (1915-97)

 旧ソ連、オデッサ生まれ。父はドイツ系でプロのピアニストだったが、自身ピアノは独学で修める。
 19歳でリサイタル・デビュー。22歳のときモスクワ音楽院のゲンリッヒ・ネイガウスに師事、ショスタコヴィッチ、プロコフィエフと交流、1945年、全ソヴィエト音楽コンクール優勝。
 以降、ソ連国内、東ヨーロッパで活躍、60年に西欧デビューし、20世紀最大のピアニストの一人に数えられた。

D. アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (1920-95) 

 イタリアのブレージ生まれ。4歳の時ピアノ教師だった父から指導を受け、10歳でミラノのヴェルデイ音楽院に入り、ジュゼッペ・アンフォッシに師事。
 38年、19歳でジュネーヴ国際コンクールで優勝。コルトーからリストの再来と絶賛された。
 戦時中は空軍に従軍。戦後は一時山中に籠ったが復帰。
 ハンブルグ・スタインウェイを愛用し、名調律師タローネを常に同行させることでも知られた。得意はベートーヴェンとドビュッシー。

E. サムソン・フランソワ (1924-70)

 ショパンを得意にした破滅型天才ピアニスト。フランス人の両親の下、フランクフルトで生れる。
 リース音楽院在学中コルトーに見出され、パリ音楽院に移籍し40年卒。
 43年、ロン=ティボー・コンクール優勝、ショパンとともにドビュッシー、ラヴェルなどフランス音楽を得意としたが、演奏には独特のモダンな香りが漂った。コルトー亡き後、フランスピアノ界の第一人者となったが、46歳の若さで他界。

F. アレクシス・ワイセンベルク(1929-2012)

 ブルガリア、ソフィア生まれ。
 46年以降、ジュリアード音楽院でオルガ・サマロフ、ランドウフスカ、シュナーベルらに師事。
 49年レーヴェントリット音楽祭で優勝。56年から活動を10年間休止し、66年からパリで復帰。ショパン、ドビュッシー、ラヴェル、チャイコフスキーなどを得意とした。

G. マルタ・アルゲリッチ (1941 - )

 アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。5歳から名教師スカラムッツァに師事。
 外交官の父と共に55年以降、ヨーロッパに移住。グルダ、マガロフ、ミケランジェリらに師事する。
 ブゾーニやジュネーブ・コンクールで優勝後、1965年ショパン・コンクールで優勝。ポリーニとともに現役最高のピアニストといわれる。
 ショパン以下レパートリーは広いが、最近は残念ながらあまりソロをやらない。演奏は奔放かつ情熱的。若い時程その傾向は強かった。

H. マルク=アンドレ・アムラン (1961 - )

 カナダ、モントリオール生まれ。カナダ、ヴァンサン・ダンディ音楽院、米テンプル大学で学士/修士号取得。
 1982年ブレトリア国際音楽コンクール、85年にはカーネギーホール国際アメリカ音楽コンクールで優勝。今ではグレン・グールドの後継者と目され、世界的に賞賛されている逸材。

以上