AAFC

ショパンコンクールの優勝者たち (第4回)
第7回コンクール 1965年

2017年7月23日

分科会資料
担当 :池田 充宏

 

◎ 優勝者 マルタ・アルゲリッチ(1941-)アルゼンチン

(1)略歴

・ ブエノスアイレスで生まれた。5才から、当時名教師として、有名であったヴィンチェンツォ・スカラムッツァに師事した。 (ブルーノ・レオナルド・ゲルバーと同門、ダニエル・バレンボイムは孫弟子)

・ 7才でモーツァルト、ベートーヴェンの協奏曲、バッハの組曲で公開演奏会を行い、神童ぶりを発揮し、11才でシューマンの協奏曲で本格的デビューを飾った。

・ 11才~13才の時、毎年ブエノスアイレスで演奏会を行ったウィーンのピアニスト、フリードリッヒ・グルタの演奏を聴き、弟子入りを決意する。

・ 1955年14才の時、ペロン大統領の計らいで父親が外交官として採用され、一家4人(父母弟)挙げてウィーンに移住し、グルダのもとで研鑽を積んだ。

・ 1年後、グルダのもとを去り、スイスに行き、ジュネーヴ音楽院のニキタ・マガロフ、マドレーヌ・リパッティ(ディヌ・リパッティの未亡人)のもとで学び、1957年ブゾーニ国際ピアノコンクールとジュネーヴ国際音楽コンクールに優勝した。イタリア、スイス、ドイツで演奏会デビュー。

・ 1961年アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに学び、1年半後の1963年ホロヴィッツに面会するためニューヨークへ渡るが、面会はかなわなかった。

・ 1963年サンフランシスコで中国人作曲家ロバート・チェンと結婚し、3週間で別居。スイスに戻り長女を出産、1964年離婚。

・ このような状況の下で一時スランプに陥っていたが、友人であったポーランド出身のショパン演奏の名手ステファン・アスケナーゼやマガロフのサポートで意欲を取り戻し、第7回ショパンコンクールに出場し優勝した。

・ その後、世界各地で活躍、2度の結婚・離婚(シャルル・デュトワ、スティーヴン・コヴァセヴィチ)を経験した。1997年3月ロサンゼルスでガンの手術に成功。

・ 1982年スイスとイタリアでのリサイタルを最後にソロの演奏を(録音も)止めた。
(協奏曲、室内楽は続ける)

・ 近年はルガーノ、別府で音楽祭を主宰し、活躍している。

 

(2)プログラム

① 舟歌 嬰へ長調作品60          (1960年録音 8分7秒 DG)

② ピアノ協奏曲 ホ短調 作品11、第1、第2楽章
                       (1965年録音25分59秒 カプリッチョ)
       W.ロヴィッキ指揮 ワルシャワ国立フィル

③ ソナタ第3番 ロ短調作品58(全曲)   (1967年録音 26分18秒 DG)

④ マズルカ 作品59 第1、第2       (1965年録音 6分17秒 muza)

⑤ J.S. バッハ(1685~1750)
   トッカータ ハ短調 BWV 911     (1979年録音 10分58秒 DG)

⑥ M.ラヴェル(1875~1937)
   夜のガスパールより 第1曲 水の精(オンデーヌ)
                        (1974年録音 6分19秒DG)

⑦ R.シューマン(1810~1856)
   ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 (全曲) (1979年録音 29分26 muza)
       K.コルド指揮 ワルシャワ国立フィル     

以上