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「20世紀の音楽」第12回

ミニマルミュージックとはどんな音楽?

2019年10月6日

分科会資料
担当 : 山本 一成

 

 ミニマル・ミュージック は、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽。現代音楽のムーブメントのひとつ。

 ミニマル・ミュージックは、1960年代のアメリカで生まれた。この時期、テリー・ライリーの「In C」(1964年)やスティーヴ・ライヒの「イッツ・ゴナ・レイン」(1965年)「カム・アウト」(1966年)などの作品が作られている。ラ・モンテ・ヤングの弦楽三重奏(1958年)をミニマル・ミュージックの始まりとする説もある。
同時期にヨーロッパでは、ルチアーノ・ベリオ、ジェルジ・リゲティ、ヘンリク・グレツキらも単純反復による音楽語法を試みており、これらの作風はアメリカのミニマル・ミュージックと類似している。1968年には当時、音楽評論家として活躍していたマイケル・ナイマンが、当時は抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を評論文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだと言われている。

テリー・ライリー (1935年 -)

アメリカ合衆国出身の作曲家である。スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスらと並ぶミニマル・ミュージックの代表的な作曲家の一人。
アメリカ合衆国カリフォルニア州コルファックスに生まれ、Shasta College、サンフランシスコ州立大学、サンフランシスコ音楽学校で学んだ。その後カリフォルニア大学バークレー校に入学、Seymour Shifrinと共に作曲法を学び修士の学位を得た。しかし、彼に最も大きな影響を与えた教師はPandit Pran Nathであった。
Pandit Pran Nathはインド古典声楽の名人で、ラ・モンテ・ヤングやMarizn Zazeelaも彼の学生であった。ライリーはPanditの課程の間に何度もインドを訪問し、師が演奏する際、タブラ、タンブーラ、及び声による伴奏に携わった。1960年代を通じて、彼はヨーロッパにも度々旅行した。そこではピアノバーで日々の糧を得ながら、音楽的影響も受けた。1971年からはMills Collegeにてインド古典音楽の教鞭をとることとなった。
1960年代にはまた、有名な「徹夜コンサート」 All-Night Concert を行った。そこでライリーは古い、「バラストの中に真空掃除機のモータで風を送り込むような」リードオルガンとテープレコーダによる遅延装置付きのサクソフォーンを用い、日の入りから日の出まで即興演奏を披露した。
何時間も演奏し続けた彼がついに休憩を必要とした際、夜中じゅう回しっぱなしにしていたテープレコーダのテープをループさせ、サクソホン演奏の断片を繰り返し再生した。この種のコンサートは何年も続き、観客は寝袋、ハンモック持参で家族全員を連れてくるようになった。
ライリーは長年にわたりクロノス・クァルテット(クロノスSQ)との関係を保ったが、その始まりはMiles Collegeで創始者のDavid Harringtonと会った時であり、それ以来13の弦楽四重奏曲及びSQを伴った数曲をクロノスSQのために作曲した。
最初の管弦楽曲 Jade Palace を作曲したのは1991年のことであり、その後同方面の作品が続いた。現在ではインドの rage 歌唱及びピアノ独奏でも実演と教育を行っている。

代表作

• A Rainbow in Curved Air(18:39)
• In C(1964) 41:56


スティーヴ・ライヒ(1936年10月3日 - )

同じくミニマル・ミュージックを代表するアメリカの作曲家。母は女優のジューン・キャロル(英語版)(旧姓・シルマン)。異父弟に作家のジョナサン・キャロル
ドイツ系ユダヤ人移民の父親と東欧系ユダヤ人の母親の子として生まれる。
最小限に抑えた音型を反復させるミニマル・ミュージックの先駆者として、「現代における最も独創的な音楽思想家」(ニューヨーカー誌)と評される。同じ言葉を吹き込んだ二つのテープを同時に再生し、次第に生じてくるフェーズ(位相)のずれにヒントを得て、『イッツ・ゴナ・レイン(英語版)』(1965)、『カム・アウト(英語版)』(1966年)などの初期の作品を発表。
1990年、『18人の音楽家のための音楽』(1974年-1976年)、ホロコーストを題材にした『ディファレント・トレインズ』(1988年)により2つのグラミー賞を受賞。1993年には、「21世紀のオペラはこうあるべき」(タイム誌)と評された『The Cave -洞窟-』を発表した。
2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞。2009年、『ダブル・セクステット(フランス語版)』でピューリッツァー賞 音楽部門を受賞。2008年度の「武満徹作曲賞」審査員を務め、18人の音楽家のための音楽の自作自演を行った。
なお、日本国内ではドイツ語式に「ライヒ」と表記されるが、本国アメリカ合衆国では一般的に「ライシュ」または「ライク」と発音される。種々のインタビューやコンサート・トークにおいて、本人は「ライシュ」と発音している。ただし最近のTV番組などでは、ナレーターなどによりあえて「ライヒ」と発音されるケースもある。

作品

• 『ドラミング (曲)(英語版)』 - Drumming(1971年)
• 『18人の音楽家のための音楽』 - Music for 18 Musicians(1974年-1976年)
• 『ニューヨーク・カウンターポイント』 - Newyork Counterpoint(1985年)
• 『オーケストラのための3つの楽章』 - Three Movements for orchestra(1986年)
• 『6台のマリンバ』 - Six Marimbas(1986年) - 『6台のピアノ』のリアレンジ
• 『エレクトリック・カウンターポイント(フランス語版)』 - Electric Counterpoint(1987年)
• 『ディファレント・トレインズ』 - Different Trains(1988年)
• 『トリプル・クァルテット』 - Triple Quartet(1998年)

フィリップ・グラスフ( 1937年1月31日 - )

アメリカ合衆国の作曲家である。その音楽はしばしばミニマル・ミュージックと呼ばれるが、グラス自身はこの呼び名を歓迎していない。

グラスはメリーランド州ボルチモアのリトアニア系ユダヤ系一家に生まれ、子供の頃からピーボディ音楽院でフルートを習った。ジュリアード音楽院に進み、そこで鍵盤楽器を主に弾くようになった。
卒業後、フランスでナディア・ブーランジェに師事し、ラヴィ・シャンカールとともに働いた後、グラスは主に宗教的な動機から北インドへ旅行し、そこでチベット難民と出会った。
1972年、グラスは仏教徒となり、ダライ・ラマ14世に面会した。グラスはチベット問題に強い関心を持ち、チベット難民を強力に支援している。
アメリカに帰国したグラスは、ニューヨークでタクシー運転手をしながらラヴィ・シャンカールとともに仕事をし、インド音楽の徹底して加算的なリズムに影響を受けた。このことで彼は以前のミヨーやコープランド風の構成を離れ、附加的なリズムとサミュエル・ベケットの影響を受けた時間構成に基づく簡素で禁欲的な作品を書きはじめた。ベケットの作品に対してグラスは実験的演劇のための作品を書いている。
伝統的な演奏家と演奏会場に共感を見いださなくなったグラスは、フィリップ・グラス・アンサンブルを結成し、主に画廊で演奏活動を行うようになった。こうした画廊はミニマル・ミュージックと美術運動であるミニマル・アートが実際に出会う唯一の場所であった。
グラスの作品は禁欲的な構成から、次第に複雑なものになっていった。そしてグラス自身の見解ではまったくミニマル・ミュージックとはいえないものになっていった。 こうした傾向は「12部からなる音楽」Music in Twelve Parts で頂点に達した。
グラスは、三部作のオペラの第1作である「浜辺のアインシュタイン」Einstein on the Beach をロバート・ウィルソンとともに制作した。三部作はマハトマ・ガンジーの前半生とその南アフリカでの経験を描く「サチャグラハ(サティアグラハ)」 (Satyagraha)、アッカド語、タナフのヘブライ語、古代エジプト語および聴衆の言語による力強い歌唱とオーケストラが競演する「アクナーテン」(イクナートン、Akhnaten)へと続いていく。

作品

フィリップ・グラスの代表的な作品の一部を挙げる。
• 『浜辺のアインシュタイン』en:Einstein on the BeachEinstein on the Beach (オペラ, 1976年)
• 『サチャグラハ(サティアグラハ)』en:Satyagraha_(opera)Satyagraha (オペラ, 1980年。このリブレットはバガヴァッド・ギーターである)
• 『グラスワークス』Glassworks (1982年)
• 『フォトグラファー』The Photographer (1982年)
• 『アクナーテン』(イクナートン〔古代エジプトの王〕)en:Akhnaten_(opera)Akhnaten (オペラ, 1983年)
• 『コヤニスカッツィ』(Koyaanisqatsi) (映画音楽, 1983年)
• 『ミシマ:4章からなる伝記』Mishima: A Life In Four Chapters (映画音楽, 1984年)
• 『弦楽四重奏曲第3番 「ミシマ」』(String Quartet No.3 Mishima)(1985年)
• 『プラネット8の模型の制作』The making of the representative for Planet 8 (オペラ, 1985年-1988年)
• 『屋根の上の1000台の飛行機』1000 Airplanes on the Roof (work for stage, text by David Henry Hwang, 1988年)
• 『ポワカッツィ』Powaqqatsi (映画音楽, 1988年)
• 『ソロ・ピアノ』Solo Piano (1989年)
• 『弦楽四重奏曲第4番 「バツァク」』(String Quartet No.4 Buczak)(1989年)
• 『弦楽四重奏曲第5番』(String Quartet No.5) (1991年)
• 『世界霊魂』Anima Mundi (映画音楽, 1992年)
• 『オルフェ』Orphe (オペラ, 1993年)
• 『美女と野獣』La belle et la be^te (オペラ, 1994年)
• 『三つ・四つ・五つの地帯の間での結婚』The marriages between zones three, four, and five (オペラ, 1997年)Buczak
• 『ヒーローズ・シンフォニー』Heroes Symphony (1997年)
• 『クンドゥン』Kundun (映画音楽, 1997年)
• 『めぐりあう時間たち』The Hours (映画音楽, 2002年)
• 『ナコイカッツィ』Naqoyqatsi (映画音楽, 2002年)
• 『フォッグ・オヴ・ウォー』The Fog of War (映画音楽, 2003年)
• 『川を遡って:ジョン・ケリーの長い戦い』Going Upriver: The Long War of John Kerry (映画音楽, 2004年)
• 『あるスキャンダルについての覚え書き』Notes on a Scandal (映画音楽, 2006年)
• 『幻影師アイゼンハイム』The Illusionist(映画音楽, 2006年)
• 『ウディ・アレンの夢と犯罪』Cassandra's Dream(映画音楽, 2007年)
• 『変化する部分からなる音楽』Music with Changing Parts
• 『12の部分からなる音楽』Music in Twelve Parts
• 『水素のジュークボックス』Hydrogen Jukebox (アレン・ギンズバーグの台本による)

• 交響曲
o 『ロウ・シンフォニー』 Low Symphony (交響曲第1番) ( デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノの音楽より)(1993年)
o 『交響曲第2番』 (Symphony No.2)(1994年)
o 『交響曲第3番』 (Symphony No.3)(1995年)
o 『ヒーローズ・シンフォニー』 (交響曲第4番) (デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノの音楽より) (1997)
o 『交響曲第5番「レクイエム, 詩人, 顕現」』 ("Requiem, Bardo, Nirmanakaya")(2000年)
o 『交響曲第6番「冥王星への頌歌」』 ("Plutonian Ode") (2001)
o 『トルテカ・シンフォニー』 A Toltec Symphony (交響曲第7番)(2005年)
o 『交響曲第8番』 (Symphony No.8)(2005年)

• 協奏曲
o ヴァイオリン協奏曲 (Concerto for Violin and Orchestra) (1987)
o サクソフォーン四重奏と管弦楽のための協奏曲 (Concerto for Saxophone Quartet and Orchestra) (1995)
o 2つのティンパニとオーケストラのための 幻想的協奏曲 (2000)
o チェロ協奏曲 (Concerto for Cello and Orchestra) (2001)
o ハープシコード協奏曲 (2002)
o ヴァイオリン協奏曲第2番 「アメリカの四季」 (2009)

以上

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