音楽: ジャコモ・プッチーニ (台本:イッリカ、ジャコーザ 初演 1904年)
監督: カルミネ・ガッローネ
制作: グイド・ルッツァット
撮影: クロード・ルノワール
蝶々夫人 : 八千草薫 (歌 オリエッタ・モスクッチ)
ピンカートン : 二コラ・フィラクリーディ (歌: ジュゼッペ・カンポラ)
スズキ : 田中路子 (歌: アンナ・マリア・カナーリ)
シャープレス : フェルディナンド・リドンニ (歌: 本人)
ヤマドリ : 中村哲
ゴロー : 高木清
ボンゾ : 小杉義男
ケイト : ジョセフィーネ・コリー
芸者 : 淀かほる、寿美花代、鳳八千代ほか その他宝塚歌劇団
演奏 : ローマオペラ座管弦楽団
指揮 : オリヴィエロ・ファブリーティス
あらすじ
第1幕 19世紀末ごろの長崎。丘の上の家に、結婚周旋人のゴローに案内されてアメリカ海軍士官ピンカートンがやってくる。
今日は彼と蝶々さんとの結婚式が行われることになっている。やがて長崎駐在のアメリカ総領事シャープレスが現れ、ピンカートンは彼女との生活のためにこの家を買い、結婚は日本に滞在する間だけで、故国に帰ったらアメリカ人の妻をもらうつもりだと言う。
シャープレスは蝶々さんのことを心配する。やがて友人たちと一緒に蝶々さんが丘を登ってくる。
結婚式が終わったころ、恐ろしい罵りの声がし伯父のボンゾがやってき、蝶々さんがキリスト教に改宗することをなじり、絶縁を言い渡す。
ボンゾは、彼女に呪いの言葉を浴びせかける人々を引き連れて出て行ってしまう。残された蝶々さんはピンカートンに慰められ、二人は愛を確かめ合う。
第2幕第1場 3年後、ピンカートンはアメリカに帰国してしまっている。彼の帰りを待ち続ける蝶々さんに、スズキは疑問を投げかけるが、蝶々さんは「ある晴れた日に港に軍艦が入り、彼が帰ってくる」と諭す。そこに領事シャープレスがやってくる。
彼はピンカートンから手紙を受け取り、アメリカで正式の結婚をしたこと、近いうちに長崎に入港するので、その前に蝶々さんにその旨伝えてほしいとの伝言を携えてきたのである。
しかしピンカートンの帰還を聞いて無邪気に喜ぶ蝶々さんを見てどうしても用件を切り出せない。そこに大金持ちのヤマドリが訪ねてきて改めて結婚を申し込むが、すげなくあしなわれて帰っていく。
ようやくシャープレスは蝶々さんに「もしピンカートンが帰ってこなかったら・・・」と問うと、彼女はピンカートンが残した子供を連れてきて見せるので、結局シャープレスは何も言わずに去っていく。
そこに軍艦の大砲の音が聞こえる。
ピンカートンが戻ってきたことを知った蝶々さんとスズキは、部屋中に花を撒き散らして彼を迎える準備をし、夜を徹して彼を待つことにする。
第2幕第2場 夜が明けたけれどもピンカートンがやってこないので、蝶々さんと子供は寝室に引き揚げる。入れ違いにピンカートンとシャープレスがアメリカ人の妻を連れて現れる。
ピンカートンは花が撒き散らされた部屋を見て深い後悔にさいなまれ、走り去ってしまう。
そこに物音を聞きつけた蝶々さんが現れるが、そこにアメリカ女性を見てすべてを悟り、一同をその場から去らせる。そして先祖代々の短刀を取り出して「名誉に生きることができないならば名誉に死ぬ」と銘を読んで、みずからの胸に短刀を突き立てる。
オペラに引用される日本のメロディ
「越後獅子」 :花嫁登場前など
「君が代」 :役人・親類の登場時
「さくら、さくら」 :蝶々夫人が持ち物を示す場面
「お江戸日本橋」 :結婚の署名後のお祝い時
「高い山から谷底みれば」 :第二幕冒頭のスズキの祈り(?)の旋律
「宮さん、宮さん」 :蝶々夫人とシャープレスの会話中、ヤマドリの登場時
「かっぽれの豊年節」 :蝶々夫人が子供を連れて「坊やの母さんは」と歌う場面
八千草薫の回想
1954年10月、「蝶々夫人」のオペラ映画が、日伊合同で製作されて、ローマのチネチッタで撮影が開始されました。・・・
さて、蝶々さん役の私のメイクを担当する人は、ロッシーニを大好きな、中年のイタリア人で、ロッシーニの音楽にのせて、私の顔を作っていくのです。
レコードをセッティングすると、おもむろに指揮者のごとく腕を泳がせて、小節の終わりとか、アクセントの部分で、ドーランを塗る指先を微妙に止めたり、眉毛を描くときも、一本一本を音楽に添って動かすので、初めは真面目にやっているのかしら、とちょっと皮肉を言ってみたくなりました。
しかし彼の仕事は丁寧でした。なにしろメイキャップだけで2時間はかかります。丹念にドーランを何度もたたき込むようにつけるせいか、昼の12時から夜8時まで、休みなく撮影が続いても、一度も化粧くずれがなく、感心したものです。・・・
それにしても、かつらをつけて、衣裳をつけて、支度にはいつも3時間はかかるので、お昼を食べそこなうこともしばしばでした。しかし、何よりの難関は、歌と歌う口元をぴったり合わせなければならないことでした。
本職のオペラ歌手の声に合わせて、正確に発音をし、私自身が本当に歌っているように、一体にならなければ、成立しないわけです。オペラにもなじみがなく、イタリア語もわからない私にとっては、不安などというなまやさしいものではありませんでした。・・・
蝶々さんの子供を選ぶのにはみんな苦労しました。せっかく可愛い女の子が、マンマ、マンマとなついてくれたのに、私がかつらをつけるとどうしても恐がって泣いてしまうのです。で、結局あまりものに動じない、おまけに大きい、抱くとどっちが抱かれているのかわからないと、からかわれるほど立派な坊やに決まりました。・・・
CD選
カラス、ゲッダ、カラヤン /ミラノスカラ座 EMI 1955
テバルディ、ベルゴンツィ、セラフィン /ローマ聖チェチーリア DEC 1958
ロス・アンヘルス、ビヨルリンク、サンティー二/ローマオペラ座 EMI 1961
プライス、タッカー、ラインスドルフ /RCAイタリアオペラ RCA 1962
スコット、ベルゴンツィ、バルビローリ /ローマ歌劇場 EMI 1966
フレーニ、パバロッテイ、カラヤン /ウィーンフィル DEC 1974
フレーニ、カレラス、シノポーリ /フィルハーモニア DG 1987
ゲオルギュー、カウフマン、パッパーノ /聖チェチーリア EMI 2008
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