AAFC例会資料 2020年2月23日 福田郁子 私の好きなピアノ曲集7 郁子 【 私がこの会に入会してより今月で丁度20年、この会の方達に育てられ、ようやく成人式を迎えられました。有難うございました。皆様ご承知の通り私は折にふれ「私の好きなヴァイオリン曲集」とか「ピアノ曲集」という様な手作りCDを作って順次発表させて頂いてきましたが、今回は私の好きなピアノ曲集7」を聴いて頂きたいと思います。このクラブの皆様にとっては聞きなれた曲ばかりで、どうかしら?と思ったのですが、このCDを作ったのは、「一人でも多くの方がクラシックを好きになって頂きたい」という思いからなので、自分が好きな曲の中から、やはり聴き易くて、誰でもが親しみやすい曲を、そしてなるべく色々な作曲家や演奏家の作品を取り混ぜて一枚のCDに並べ、しかも、全体的には統一感があって、聴いていても違和感がないといような選曲や、配列に拘っていますので、その辺のところを考慮の上お聴き頂ければ幸いです。】 ショパン 音楽的な内容の豊かな曲。 ショパンの練習曲は、エッセンスが凝縮され、豊かに煌めいているので、単なる指の技巧的なことだけでなく、その詩的情緒や、ロマン的香りをいかに引き出すかに主眼が置かれ、高い音楽性が要求される。 2 前奏曲 第4番 ホ短調 1’42” 嘆きの歌と言われ、不協和音と協和音の微妙な掛け合いが魅力的。 サンソン.・フランソア(P) 1966年 コルトーの流れを受け継ぐ天才肌のピアニスト。1924年ドイツで生まれのフランス人。10歳の時コルトーに見いだされ16歳でパリ音院を首席で卒業。ロンティボ―国際コンクールで優勝後各地へ演奏旅行、自由奔放、個性的で魅惑的な演奏は稀有な天才の瞬間の美の如くである。【同じ曲でも彼が弾くと素敵な曲に変身するのが不思議で、そのセンスは天性のものに思えます。】 リスト 大作曲家であり、超絶技巧で有名な、当時最高のピアニストでもある。【どんな曲でも初見で完璧に弾きこなし、ピアノの魔術師と言われた。彼は、楽譜はおろか、鍵盤すら見ないで、絶えず生み出されるピアノの音に耳を傾けて演奏していたそうです。】 3 ハンガリア狂詩曲 第2番 嬰ハ短調 10’11” リストの故郷に住むジプシーの民族舞踊、チャールダッシュ風の形式が主で、流浪の民の仄暗い情熱=ラッサン (悲しみをこめた緩やかなテンポの舞曲)と、フリスカ (快活で興奮をあおる舞曲) が織交ぜられた華麗で魅力的な舞曲。 ミケーレ・カンパネッラ (1947~) イタリア リスト協会会長 超絶技巧を楽々とこなしながら、技巧の冴えや指の動きの良さをひけらかさない情緒豊かな演奏には好感が持てる。 ピアノ協奏曲 第 1番 変ホ長調 リストの作った2つの協奏曲の中の第一曲 ピアノの華やかな技巧に富む一方、オーケストラもピアノと対等な役割を持つこの曲は、量感に富むことから人気が高く、ヴィルトゥオーソ協奏曲の代表的存在。 4 Ⅰ-Allegro maestos 5’10” 5 Ⅱ-Adagio 8’25” マルタ・アルゲリッチ(P) 1941年 アルゼンチンブエノスアイレスに生まれ、女流ピアニストとして8歳でデビュー。一時活動を退いて研鑽を積み、1965年24歳の時 ショパン国際コンクールに突然現われ、驚異的な技術と、音楽性溢れる演奏で優勝し、世間を驚かした。 【情熱的で奔放な個性は男性をしのぐ感もあるが、曲の隅々まで真剣で可能な限り微妙な色彩の濃淡を追い求める演奏は、女性ならではのきめ細やかな感性に溢れ、その意外性こそが彼女の魅力かもしれません。】 指揮者 クラウディオ・アバド(Con)ロンドン交響楽団1968年 1933年イタリアのミラノに生まれ30歳でカラヤンの引き立てにより、ウィーンフィルの客演指揮者に就任、ミラノスカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリンフィル等、世界の超一流の楽団監督を歴任し、現代を代表する大指揮者。曲に対する真摯さ、細部にわたる正確さに定評がある。【摩擦を嫌い、淡々とした控えめな性格は、アルゲリッチからも「ピアノ協奏曲の伴走者」と評されていますが、それは、ソリストが自由な解釈が出来る様に、自分自身やオーケストラを目立たなくするという彼特有の配慮で、そういうところが彼をしてかくも偉大な指揮者にしたのではないかと思います。】 【そして、このリストの協奏曲の録音は、アルゲリチが27歳、アバドが36歳の時に、ショパン協奏曲と同じ日に、しかも、たった一日しかないという限られた時間内に終えなければならないという厳しい状況だったにも拘らず、アルゲリッチの比類なき能力と 心を開いた積極的な協力により、スタッフ一同何のプレッシャーも感じることなく順調に進み、「その日以来、この日の彼女とのレコーディング作業は忘れ難いものとなった」と、当時の、レコードエンジニアは語っています。】 【又指揮者も、「アバドのような、ガラスの様に済んだクリアな棒の技術を持ち、どんな時間の浪費も許さない彼以上にこの録音に相応しい指揮者はいなかっただろう。」と言われています。】 【いずれにしても、両者ともが、どんな細部もおろそかにしないという卓越した精神と技術で音楽の奥深くに進み入り、その曲の本質に迫って、その真の美しさや、厳しさや 微妙な摩擦までも際立たせて真摯に描き出そうとし、力を尽くしたこの演奏は、アルゲリッチが世界市場で納めた最大の成功と言われていますが、その理由は、この「リストのピアノ協奏曲」が単なる名人芸的な協奏曲以上のものであり、ダイレクトに人を引き付ける表現に満ちた音楽であることを証明したからだそうです。】 グリーグ 1843年にノルウェイに生まれ、ピアニストの母に音楽を習い、ドイツに留学して。基礎的な教育を受けて自国に戻り、19C後半に勃興した民族主義に基づく国民学派の第一人者として、北欧の民族音楽を探求し、その成果を持ち前の感性の豊かさで芸術的に昇華せしめ、その北欧的な抒情性と、彼のピアニズムを結びつけた数々の作品を生み出し、北欧のショパンと呼ばれている。 ピアノ協奏曲 イ短調 作品16 グリーグ作の唯一の協奏曲。1868年、25歳の時、結婚の翌年,長女出産の年に完成 シューマンの協奏曲と並んでロマン派の双生児的傑作として広く“親しまれている。 6 Ⅰ-Allegro mollto.moderate 13‘45“ 7 Ⅲ-Allegro moderato molto.e.marcato 10‘25“ 【ルービンシュタインに、「この曲を書いた天才.」と言わしめ、又、翌年イタリア旅行中にリストを訪ねた折、リストはこの曲を初見で弾いて、大いに感服したそうです。【この曲は、千人に人のリリシストと呼ばれた若きルプー(当時27歳)の繊細で切れ味のある演奏で聴いていると、北欧の一面に広がる雪原が目に浮かび、天候のままに様相を変える、あたりの気配や、冷たく、清々しく、澄んだ、空気が感じられ、心が洗われるようなスッキリしたと気分になれるので大好きです。】 ラドゥ・ルプー(P) 1945年ルーマニアで生まれ、6歳からピアノを始め、リパッティを育てたムジチェス女史に師事。数々の国際コンクールで優勝し「千人に一人のリリシスト」と呼ばれ、大変繊細で切れ味のあるピアノには定評がある。 アンドレ・プレビン(Con) ロンドン交響楽団 1973年 指揮者、作曲家、ピアニスとしてクラシック、映画音楽、ジャズ等幅広いジャンルで活躍。 NHK交響楽団の首席核演指揮者 2019年2月死亡 【 】部分は、当日口頭でお伝えした個所です。 |