シャコンヌを聴く

AAFC例会資料

2015/10/11

担当 : 稲垣 慈見

 

 バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番は五つの舞曲で構成されている。第1楽章はニ短調 4/4 拍子アルマンド、16世紀にドイツで栄えた頭に上拍音のついたゆるやかな舞曲、第2楽章はニ短調 3/4 拍子フランスの軽快なクーラント、第3楽章はニ短調 3/4 拍子のスペイン起源のサラバンド、第4楽章はニ短調 12/8 拍子のイギリス起源のジーグ。第5楽章がニ短調 3/4 拍子のシャコンヌである。

 Chaconne(仏)ciaccona(伊)はスペインに起こったダンス、普通は2拍目にアクセントのある4分の3拍子のゆるやかな曲でバロック音楽の重要な器楽形式でパッサカリアにきわめて似ている。パッサカリアとはある通奏低音の旋律が終止変奏される形式である(音楽辞典)。

 バッハと共にヴィタリーのシャコンヌはよく知られているが、他の作曲家の作品はあまり馴染みがないと思われる。調べてみると、確かに 17 世紀から 18 世紀のバロックの作品にシャコンヌが散見される。しかもダンスの組曲の最終楽章として使用されていることが多い。しかしバッハのシャコンヌとは異なり、必ずしも次々と真新しい変奏が繰り出されといった形式は取っていない場合もあるように思われる。ここでは、バロックの作品として充分楽しめると感じられる曲をご紹介します。

Johann Pachelbel (1653.9.1 ニュールンベルグ-1706.3.3 ニュ-ルンベルグ)
  Ciaconne and 13 Variations
    Elena Polonska (Harp)
    “The Baroque Harp” (turnabout TV 4069)

Henry Purcell (ca.1659 ロンドン-1695.11.21 ロンドン)
  Chacony in G Minor for Strings
    Benjamin Britten, English Chamber Orchestra
    “シンプル・シンフォニー” (LONDON K18C-8241)

Tommaso Antonio Vitali (1663.3.7 ボローニャ-1745.5.9 モデナ)
  Chaconne
    Henryk Szeryng, Charles Reiner(Piano)
    “Treasures for the Violin” (Fontana SFL14116)
    Jan Tomasow, Anton Heiller (Cembalo)
    “Die Viltuose Violine” (VANGUAD KS 20041)
    Annie Jodry, Georges Delvallée (orgue)
    “sonates pour VIOLON et ORGUE au XVIIIe SIÈCLE” (ARION ARN 37161)

François Couperin (1668.11.10 パリ-1733.9.11 パリ)
  Chaconne in Trosième Concert
    “Couperin 3concerts royauxC (Guilde du Disque SMS 2625)
  Chaconne légère in Treizième Concert
    Ensemble « Secolo Barocco »
    “Les Gouts Réunis” (EMI 063-10.001)

Jean Philippe Rameau (1683.9.25 ディジョン-1764.9.12 パリ)
  Chaconne in Ballettsuite zur Oper “Les Indes Galantes
  Chaconne in Suite aus der Oper “Dardanus”
    Collegium Aureum
    “Festliche Opernsuiten in Versailles” (harmonia mundi ULS-3163~4)
  Chaconne-Rigaudons et Contredanse in Suite de Danses “Platée”
    Orchestre de chambre de Paris
    “J. P. Rameau” (ORPHÈE 52069)

Christoph Willibald Gluck (1714.7.2 エラスバッハ-1787.11.15 ヴィ-ン)
  Chaconne   Moderato con grazia-Gavotte-Tempo 1e
    Karl Münchinger, Stuttgart Chamber Orchestra
    “Corelli: Christmas Concerto” (DECCA SXL 2265)

Johanne Sebastian Bach (1685.3.21 アイゼナッハ-1750.7.28 ライプチヒ ) シャコンヌ ニ短調
3/4 拍子(無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番 BWV-1004 第5楽章
)に話を移します。この曲はニ短調で始まり、第16変奏の途中でニ長調に転調し、第26変奏からニ短調に戻ります。

 吉松隆によればニ短調は『教会旋法ドーリアから生まれた調。音階に弦楽器の解放弦をすべて含んでいるので、短調の調の中では最も良く響く調。バッハ トッカータとフーガ、ベートーベン 交響曲第9番第1楽章、モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ドン・ジョバンニ レクイエム、シューベルト 死と乙女、ブルックナー交響曲第9番、フォーレ レクイエムなどがある。』

 またニ長調は『弦楽器系はすべて D の音を解放弦に持っているので鳴りやすい。ヴァイオリン協奏曲の名曲ベートーベン・チャイコフスキー・ブラームスがこの調に集中しているのも面白い。弦・管楽器ともなりやすい調だが、ピアノは響きがいまいちなのかあまり使われない。ヘンデル ハレルヤコーラス、べートーベン 交響曲第9番第4楽章、モーツアルト フィガロの結婚序曲、プロコフィエフ 古典交響曲など』とある。

 バッハによるシャコンヌの主題は、何か重苦しく荘厳な雰囲気の和音ではじまる。しかし第10変奏から盛り上がって arpeggio のつづく第14変奏まで、および第28変奏からの A の解放弦と1度ずつ上下する音階による素晴らしい響きはこれがニ短調という調性によるものであるのかと納得させられる。

 この作品は、資料に添付したグルミヨーによる演奏のライナーノートとカール・フレッシュによる解説が分りやすい。

 初めに私が持っているLP盤の中で最も聴き込んだと言ってもよい グルミヨーの演奏をおかけします。
    Arthur Grumiaux (PHILIPS SFX-7528)が
次に、オーケストラと弦楽合奏で、
    Seiji Ozawa, Saitoh Memorial Orchestra (Fontec FONX-5017)
    David Broekman, The Concert-Masters of New York (DECCA DL79955)
ギターの演奏で、
    Andres Segovia (mca MUCS 128)
    Laszlo Szendrey-Karper (Qualiton LPX1161)
Busoni編曲によるピアノ版で、
    Arthur Rubinstein (RCA RVC-2274)
    Yuji Takahashi (Polydor ME 5001)
    Gabos Gabor (Qualiton HLP SzK 3526)
    Arturo Benedetti Michelangeli (altara ALT 1007)
最後に、ヴァイオリンに戻って、
    Jean-Jacques Kantorow (DENON OX-7230 2-ND)
    Jascha Heifetz (RCA ERA 9544)
    Joseph Szigeti (VANGUARD MX 9031)
    Henryk Szeryng (Grammophon SMG-9026)
    Ida Haendel (Art Musica MSTN 004C)
    Nejiko Suwa (Seven Seas KSAC-161/3)
    Masuko Ushioda (Toshiba TA-72001~2)

等々の中から、時間の許す限りお聴き頂きます。

以上      

資 料

Bach Partitas for Violin Solo   Arthur Grumiaux
                    Liner note in Philips SFX-7528 より
 単独にも演奏されるほか、管弦楽、ピアノ、ギターその他に編曲されて聴くことの多い名作。まったく無類の精神的な深い内容と、幻想性の豊かな曲で、技巧的にも至難な曲としても有名である。シャコンヌは、スペインに起った3拍子の古い舞曲だったが、短かいバスを幾度もくりかえしながら、そのくりかえしの上に変奏をつけていく曲で、バッハのこれは、主題と30の変奏曲で構成されている。はじめ8小節の主題が奏されるが、後半の4小節は前半の反映にすぎない。ほぼアンダンテからグラーヴェのゆっくりした速度をとる。ついで、だいたい8小節を単位とした30の変奏がおこなわれるわけだが、全体を大きくわけて3部と見ることができる。

 第1部  主題から第15変奏まで(二短調)、前半で主題を旋律的に変えていく。第8変奏以後は16分音符や32分音符をくわえて流れるように扱い、アルペジオなどの美しさをきかせる。そして主題がもとの形で再現する。

 第2部  第16変奏より第24変奏にいたる二長調の部分。全体の中間部をなし、明るい希望にみちた調子で主題が歌われ、和声的にも充実して、オルガン的効果を見せる。

 第3部  第25変奏より終りまで。再び二短調に戻って静かになり、4小節単位の変奏が多い。そして最後に主題が余韻のように残って全曲を統一した印象のうちに終る。

ヴァイオリン演奏の技法 カール・フレッシュ/佐々木庸一訳
                            下巻 付録 より

 パルティータ、第二番、二短調の第五楽章シャコンヌは、八小節の主題と変奏から成立っている。変奏には次のような四つの型がある。

a) II.1一III.3まで(第1変奏)のように形式が八小節の間変化しないもの

b) V.1-VI.2(第3変奏)のように、五小節目で既に変化するもの

c) XXXIII.2-XXXIV.3(第15変奏の一部)のように四小節の変奏

d) XX.1-XXXIII.1(第11変奏から第14変奏)またはXL.3-XLIII.4(第20、21変奏)のように,共通の理念によって一つのものになった多くの変奏

 この曲の再現の主な困難は、主題の単一性と主題に従属している変奏の多様性にある。変奏は、形式的にも内容的にも、考え得る最大の多様性を持っており、それに応じて非常に異った処理法を要求している。がしかし、変奏においても、主題に見られるような、荘重な品のあるリズムを決してゆるがせにしてはならない。各変奏の特殊な感情内容は、その通りに奏かねばならない。一方同時に主要動機のリズム的に一定した舞踏的性格は保持されねばならない。基本テンポは約 ♪♪(4分音符)=60と考えてよろ
しい。だからあまり遅く奏いてはならない。

 これらを不動の軸点として感情の染み込んだ印象の全世界が想像もつかないほどまでに多彩に変化するのである。こういう約束を等閑に付すると、この作品の再現は大抵の場合失敗する。変奏の処理が十分に個別化されなかったり、基本テンポを厳格に保持しすぎたりする。つまり再現が硬直していて、柔軟性がなく、単調であったりする。あるいはまた、どんなに自由な演奏をしても、響き続け、聴衆に絶えず意識されねばならない主要動機独特のリズムが顧慮されないで、変奏があまりにも独立して把握されたりする。̶̶この揚合は、再現が、ぱらぱらな寄木細工のように、不統一に思われ、わざとらしく思われる。この危険を確実に避けるためには、基本テンポと根本的には違っていないテンポを、抒情的な変奏においても維持するように努めるとよい。運動のこの統一が、並列した情緒像を繋ぎ合せる接合剤となっている。

このようにテンポの持続性を確保したならば、次には個々の変奏の分離を強調する。この限界づけは、ディナーミック上の処理とアゴーギク上の処理によって行われる。つまり、強度を変えたり、加速ないしは遅延によって、それを行うのである。この点に関して、ただ一つの「正しい」陰影付けという定まった規則を設けようなどと思ってはならない。それ自身一つの世界であるシャコンヌを、ただ一つのプリズムを透して見なければならないと主張する者は、馬鹿だけである。シャコンヌの像が各個人に特有の個性によってそれぞれ別個に映し出されるところにシャコンヌの魅力があるのである。しかし、それにも拘らず、普遍的なものはある。それは、中でも、個々の変奏の分離に関するものである。この分離は、既に述べたように種々な方法で行われうる。しかし、分離の原則自身は、普遍的でなければならない。何故なら、そうであってこそ初めて、私たちは全有機体における変奏の要素を意識するからである。むろん、この場合、行きすぎをやってはならない。つまり個々の部分のあまりにも型にはまった区劃づけを行ってはならない。

 そして、生きた芸術作品を創り出さないで、音楽形式論の授業を行っているような分け方をしてはならない。従って、多くの変奏の終りにおいて、私が奨めている拡げ方をあまりに文字通りにとらないように注意すべきである。ただし一つの部分、全体を終結する変奏の分岐点だけは、著しいリタルダンドないしはアラルガンドを行うべきである。一つの部分そのものの中で拡げることは、常に「poco」のように思ってやるべきである。

 シャコンヌの主題は後拍的である。それは二番目の四分音符において始まる。同じことは変奏についても言える。違うのは次の点だけである。即ち、主題自身が二番目の四分音符で始まるのに対して、変奏は、しばしば既に二番目の八分音符ないしは十六分音符で始まるということである。ところが、実際の演奏においても、また印刷された多くの楽譜においても、今なお、この議論の余地のない原則が犯されている。しかし、基本主題の後拍のリズムを変奏に移すことは、全曲の適切な再現のためには重大な事で
ある。従って、次の頁の編曲では、一つの変奏の終りとその次の変奏の始めの間の限界は、大抵の場合、斜線で示した。二本の斜線は新しい部分の始まりに相応しい比較的長い分離を意味する。

 多くの版には個々の変奏を複縦線ではっきり分るようにしてある。次の編曲では、そういうことはしなかった。何故なら、この分離記号は、全楽章の後拍のリズムに矛盾するし、更に、学習者は、最初の四分音符の不合理な強調を行うという誤りを最初から犯すことになり、その結果誤ったフレージングを行うようになるからである。

 

 以 上

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