1923.12.02ギリシャ移民としてN.Y.に生まれた。
13才の時ギリシャに帰国し、母から厳しい英才教育を受けてソプラノ歌手としての才能を開いた。
アテネで往年の名歌手ピタルゴに師事し、更に才能を伸ばした。
ギリシャでいくつかのオペラのヒロインを演じた。
戦後、イタリアで名指揮者のセラフィンに見出され、ヴェローナの野外劇場でジョコンダのタイトルロールを歌い、一躍注目を浴びた。
その後もセラフィンにより、ワグナー等のドラマティックな役や、ドニゼッティ,ロッシーニ,ベルニーニ等、埋もれていた19世紀のイタリアオペラを再演し、ヴェルディ等にも名演を残した。
1950年ミラノスカラ座にデビュー。
1962年に舞台を去るまで10年位、世界のプリマドンナとして活躍した。
今回の映像は、1958年パリオペラ座でのマリア・カラスお披露目公演のもので、初めてのTVによるヨーロッパ全土向け放送となり、一大センセーションを起こした記念すべき作品であり、カラスの数少ない貴重な映像となった。
ロッシーニ作曲 歌劇「セビリアの理髪師」より 今の歌声は 9分
プッチーニ作曲 歌劇「トスカ」より 第2幕全曲 43分
トスカ=マリア・カラス スカルピア=ティート・ゴッビ カバラドッシ=アルベール・ランス
カラスの特に傑出した点は、そのテクニックに裏打ちされた歌唱力と心理描写と演技である。
必ずしも美声とはいえないが個性的な声を生かし、音域の広さ・ドラマティックやリリックな役もこなす事が出来た。
彼女の生涯は「トスカ」のヒロインの様な、歌に生き恋にいきた人生で、栄光と挫折そのものであった。
実母とはカラスの成長と共に心情の違いから争うようになり、結婚生活においては30歳年上の実業家で献身的にカラスを助けた夫の元をはなれ、一代で財を成したギリシャの海運王オナシスと恋に落ち、カラスは夫と離婚したが、オナシスは名声主義で、未亡人となったジャクリーヌ・ケネディーと結婚したため、オナシスとは結婚出来なかったが、愛人としてしの関係は続いていたらしい。
私生活での精神的乱れ、不摂生亜な生活(無理な減量)、難役をこなすために声帯を酷使したためか、歌手生活は短かった。
神よ、もう一度声を下さい。
1977年 53才 パリにて 短くも過激な生涯を閉じた。