本映像は、1997年4月5日 NHK教育テレビ「N響アワー」で池辺晉一郎氏の解説、檀ふみさんの進行役で放映されたもので、VHSに録画しDVDにダビングしたものです。
演奏は1996年12月21日 NHKホール 指揮は前夫のシャルル・デュトワ 管弦楽はNHK交響楽団によるもので、20年ほど前、アルゲリッチ55歳のときのものです。
Martha Argerich
1941年6月5日 ブエノス・アイレスの中産階級の生まれ。父は経済学教授や会計士(祖先は18世紀にスペイン・カタロニア地方からアルゼンチンに移住。アルゲリッチはカタロニア出の姓)母はベラルーシからのユダヤ系移民の二世。
1943年(2歳8か月)ピアノを弾き始める。
1946年(5歳)アルゼンチンの名教師スカラムッツァ教授にピアノを学び始める。1954年(13歳)まで続く。
1949年(8歳)公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏。
1950年(9歳)モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ト短調 K.466、バッハのフランス組曲を演奏。
1955年(14歳)ペロン大統領のはからいで、父を外交官に、母を大使館職員に任命し、一家でウイーンに赴任。
ウイーンでフリードリッヒ・グルダ、ジュネーブでニキタ・マガロフ、リパッティ夫人に師事。
1957年(16歳)ボルツァーノのブゾーニ国際コンクール 第1位。ジュネーブ国際コンクール 第1位。
1961年(20歳)モンカリエリでベネデッティ・ミケランジェリに師事。
1963年(22歳)作曲家、指揮者のロバート・チェン(中国)と結婚。
1964年(23歳)長女リダの出産前に離婚。
1965年(24歳)第7回 ワルシャワ国際ショパン・コンクール 第1位 及び マズルカ賞獲得。
1969年(28歳)1957年にジュネーブで出会ったシャルル・デュトワと再婚。翌年、娘アニーを儲ける。
1970年(29歳)初来日。以後幾度も来日
1974年(33歳)来日の際、飛行機の中で夫婦喧嘩(デュトワがチョン・キョンファと浮気)となり、アルゲリッチだけが帰国し、離婚。後にピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチと三度目の結婚。娘ステファニーを儲けるが、その後離婚。 「私は恋愛に向いていない」と語っていたが、10歳年下のミシェル・ベロフと4年間、4歳年下のアレクサンドル・ラビノヴィチ(デュオ仲間)と10年間の恋愛関係にあった。
1994年(53歳)別府ビーコンプラザ・フィルハーモニア・ホール名誉監督に就任。
1996年(55歳)別府アルゲリッチ音楽祭の総監督に就任。
1998年(57歳)第1回 別府アルゲリッチ音楽祭開催。 以降毎年来日。
(主にWikipediaより)
ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(40分) (映像全50分)
ショパン30歳の作品、実際は第2番ヘ短調op.21より後の作品。初演も後で、ワルシャワでの最後の演奏会で初演された。ショパン国際ピアノコンクールでは圧倒的に第1番が演奏される。(第2番を弾くと入賞できないという”ジンクス”がある。過去第2番を弾いて優勝したのは第10回(1980年)のダン・タイソンのみ)
第1楽章 Allegro . Maestoso ホ短調 3/4拍子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (19:00)
第2楽章 Romance, Larghetto ホ長調 4/4拍子 三部形式・・・・・・・・・・ (9:25)
第3楽章 Rondo, Vivace ホ長調 4/4拍子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9:10)
付表 ショパン国際ピアノコンクール 入賞者 抜粋
回 |
年 |
参加 |
優勝者 |
参 考 |
1 |
1927 |
26 |
レフ・オボーリン(露) |
|
2 |
1932 |
89 |
アレキサンドル・ユニンスキー(米) |
|
3 |
1937 |
79 |
ヤコブ・ザーク(露) |
⑦モニク・デ・ラ・ブルショルリ(仏)
(聴衆賞)原智恵子 |
4 |
1949 |
59 |
ハリナ・ツェルニ-=ステファンスカ(ポ) |
(優勝)ベラ・ダヴィドヴィチ(露) |
5 |
1955 |
77 |
アダム・ハラシェビッチ(ポ) |
②ウラジミール・アシュケナージ(露)
③フー・ツォン(中国)、 |
⑩田中希代子 |
6 |
1960 |
77 |
マウリツィオ・ポリーニ(伊) |
(選)小林仁 |
7 |
1965 |
76 |
マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン) |
④中村紘子 |
8 |
1970 |
80 |
ギャリック・オールソン(米) |
②内田光子、(選)エマニュエル・アックス(米)
遠藤郁子 |
9 |
1975 |
84 |
クリスチャン・ツィンマーマン(ポ) |
|
10 |
1980 |
149 |
ダン・タイソン(ベトナム) |
⑤海老章子、⑤エヴァ・ポヴウオッカ(ポ) |
(選)アンジェラ・ヒューイット(加)
イーヴォ・ポゴレリチ(ユーゴスラビア) |
11 |
1985 |
124 |
スタニスラフ・ブーニン(露) |
④小山実稚恵、⑤ジャン=マルク・ルイサダ(仏)、(選)三木香代 |
12 |
1990 |
109 |
無 |
②ケヴィン・ケナー(米)、③横山幸雄
⑤高橋多佳子、 |
(選)及川浩治、田部京子、有森博 |
13 |
1995 |
130 |
無 |
⑤宮谷里香、(選)江尻南美 |
14 |
2000 |
94 |
リ・ユンディ(中国) |
②イングリット・フリッター(アルゼンチン)、⑥佐藤美佳、(選)広瀬悦子 |
15 |
2005 |
|
ラファエル・ブレハッチ(ポ) |
④関本昌平、④山本貴志、(選)大崎結真 |
16 |
2010 |
|
ユリアンナ・アヴデーエワ(露) |
④エフゲニー・ボジャイノフ(ブルガリア)
(選)ニコライ・ホジャイノフ(露) |
17 |
2015 |
|
チョ・ソンジン(韓) |
②シャルル・リシャール=アムラン(加)
(選)小林愛美 |
|
優勝者名は全て記入。入賞者、入選者の内欧米人は私の知っている人のみ。日本人は全て記入。
優勝者必ずしもその後活躍しているとは限らない。入賞を果たせなかった入選者でも現在大活躍中の人あり。
17回2位のアムランはピアノ協奏曲第2番を選択。