20

マルタ・アルゲリッチのショパン

ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 (映像)

AAFC例会資料

2016/07/03

担当 : 霜鳥 晃

 

本映像は、1997年4月5日 NHK教育テレビ「N響アワー」で池辺晉一郎氏の解説、檀ふみさんの進行役で放映されたもので、VHSに録画しDVDにダビングしたものです。

演奏は1996年12月21日 NHKホール 指揮は前夫のシャルル・デュトワ 管弦楽はNHK交響楽団によるもので、20年ほど前、アルゲリッチ55歳のときのものです。

Martha Argerich

1941年6月5日 ブエノス・アイレスの中産階級の生まれ。父は経済学教授や会計士(祖先は18世紀にスペイン・カタロニア地方からアルゼンチンに移住。アルゲリッチはカタロニア出の姓)母はベラルーシからのユダヤ系移民の二世。
1943年(2歳8か月)ピアノを弾き始める。
1946年(5歳)アルゼンチンの名教師スカラムッツァ教授にピアノを学び始める。1954年(13歳)まで続く。
1949年(8歳)公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏。
1950年(9歳)モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ト短調 K.466、バッハのフランス組曲を演奏。 
1955年(14歳)ペロン大統領のはからいで、父を外交官に、母を大使館職員に任命し、一家でウイーンに赴任。
ウイーンでフリードリッヒ・グルダ、ジュネーブでニキタ・マガロフ、リパッティ夫人に師事。
1957年(16歳)ボルツァーノのブゾーニ国際コンクール 第1位。ジュネーブ国際コンクール 第1位。
1961年(20歳)モンカリエリでベネデッティ・ミケランジェリに師事。 
1963年(22歳)作曲家、指揮者のロバート・チェン(中国)と結婚。
1964年(23歳)長女リダの出産前に離婚。
1965年(24歳)第7回 ワルシャワ国際ショパン・コンクール 第1位 及び マズルカ賞獲得。
1969年(28歳)1957年にジュネーブで出会ったシャルル・デュトワと再婚。翌年、娘アニーを儲ける。
1970年(29歳)初来日。以後幾度も来日
1974年(33歳)来日の際、飛行機の中で夫婦喧嘩(デュトワがチョン・キョンファと浮気)となり、アルゲリッチだけが帰国し、離婚。後にピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチと三度目の結婚。娘ステファニーを儲けるが、その後離婚。 「私は恋愛に向いていない」と語っていたが、10歳年下のミシェル・ベロフと4年間、4歳年下のアレクサンドル・ラビノヴィチ(デュオ仲間)と10年間の恋愛関係にあった。
1994年(53歳)別府ビーコンプラザ・フィルハーモニア・ホール名誉監督に就任。
1996年(55歳)別府アルゲリッチ音楽祭の総監督に就任。
1998年(57歳)第1回 別府アルゲリッチ音楽祭開催。 以降毎年来日。
(主にWikipediaより)

ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(40分) (映像全50分)

ショパン30歳の作品、実際は第2番ヘ短調op.21より後の作品。初演も後で、ワルシャワでの最後の演奏会で初演された。ショパン国際ピアノコンクールでは圧倒的に第1番が演奏される。(第2番を弾くと入賞できないという”ジンクス”がある。過去第2番を弾いて優勝したのは第10回(1980年)のダン・タイソンのみ)

第1楽章 Allegro . Maestoso    ホ短調 3/4拍子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (19:00)
第2楽章 Romance, Larghetto  ホ長調 4/4拍子 三部形式・・・・・・・・・・ (9:25)
第3楽章 Rondo, Vivace      ホ長調 4/4拍子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9:10)  

付表       ショパン国際ピアノコンクール 入賞者 抜粋

参加 優勝者  参   考
1 1927 26 レフ・オボーリン(露)  
2 1932 89 アレキサンドル・ユニンスキー(米)  
3 1937 79 ヤコブ・ザーク(露) ⑦モニク・デ・ラ・ブルショルリ(仏)
(聴衆賞)原智恵子
4 1949 59 ハリナ・ツェルニ-=ステファンスカ(ポ) (優勝)ベラ・ダヴィドヴィチ(露)
5 1955 77 アダム・ハラシェビッチ(ポ) ②ウラジミール・アシュケナージ(露)
③フー・ツォン(中国)、
⑩田中希代子
6 1960 77 マウリツィオ・ポリーニ(伊) (選)小林仁
7 1965 76 マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン) ④中村紘子
8 1970 80 ギャリック・オールソン(米) ②内田光子、(選)エマニュエル・アックス(米)
遠藤郁子
9 1975 84 クリスチャン・ツィンマーマン(ポ)  
10 1980 149 ダン・タイソン(ベトナム) ⑤海老章子、⑤エヴァ・ポヴウオッカ(ポ)
(選)アンジェラ・ヒューイット(加)
イーヴォ・ポゴレリチ(ユーゴスラビア)
11 1985 124 スタニスラフ・ブーニン(露) ④小山実稚恵、⑤ジャン=マルク・ルイサダ(仏)、(選)三木香代
12 1990 109 ②ケヴィン・ケナー(米)、③横山幸雄
⑤高橋多佳子、
(選)及川浩治、田部京子、有森博
13 1995 130 ⑤宮谷里香、(選)江尻南美
14 2000 94 リ・ユンディ(中国) ②イングリット・フリッター(アルゼンチン)、⑥佐藤美佳、(選)広瀬悦子
15 2005   ラファエル・ブレハッチ(ポ) ④関本昌平、④山本貴志、(選)大崎結真
16 2010   ユリアンナ・アヴデーエワ(露) ④エフゲニー・ボジャイノフ(ブルガリア)
(選)ニコライ・ホジャイノフ(露)
17 2015   チョ・ソンジン(韓) ②シャルル・リシャール=アムラン(加)
(選)小林愛美

優勝者名は全て記入。入賞者、入選者の内欧米人は私の知っている人のみ。日本人は全て記入。
優勝者必ずしもその後活躍しているとは限らない。入賞を果たせなかった入選者でも現在大活躍中の人あり。
17回2位のアムランはピアノ協奏曲第2番を選択。

 以 上

目次へ戻る